拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今田新太郎が関わった?と言われる神兵隊事件。
実際どれくらい関わったのか、
と言うか本当に関わったのかどうかすらさっぱり不明なのだが…
検索中に、偶然裁判記録が残っていることを発見。
しかも問題の人物・片岡駿、奥戸足百の分が読めるようです。
早速入手してみました。
その結果…
実際どれくらい関わったのか、
と言うか本当に関わったのかどうかすらさっぱり不明なのだが…
検索中に、偶然裁判記録が残っていることを発見。
しかも問題の人物・片岡駿、奥戸足百の分が読めるようです。
早速入手してみました。
その結果…
片岡駿の方にズバリの記述がありました。引用してみます。
第二の拳銃問題は将来尚ほ十分申述べる機もあるでせうが、其大要を言へば私が昭和六年奉天の某大尉の家に寄寓中偶々満州事変が起こり、護身用も兼ね、活動の為に拝借した侭返却の機会を逸して、お預かりして居友恩賜の拳銃を神兵隊事件で帰東の途次持帰って御返した。唯それだけの事で、事件に関係なきことが明かとなり、佐野検事もそれは十分判り御話でも聴取書にさへ載せなかった問題であるに拘らず、其の後約一年半も二年も経ってから、或る政治的動きから、急に峻烈なる捜索を開始し勿論それはナンセンスに等しい努力であるから、佐野検事の苦心は徒労に帰したのですが、併しこれが為に無辜の良民である私の友人や先輩は大変な迷惑を蒙り、或友人の如きは議会の開催中警察に留置されて、戦慄すべき拷問を受けた事実があるのであります。(以下略)…「某大尉」ですか。かばっているつもりなんでしょうが、バレバレです。(^^;)
第五回公判(昭和十二年十一月廿五日)片岡駿氏陳述 p.10
だって満州事変の時に今田の所に片岡が寄宿してるのはみんな分かってる話だもんねー。
さて、片岡の話によると、「恩賜の拳銃」はレンタルであって、その後返却したらしい。
しかし、陸軍大学卒業時にもらうらしいと言う大事な「恩賜の拳銃」を安易に人に貸すのかいな?やはり私の推測通り、これは「満州事変の恩賞として今田が片岡に贈った」のではないだろうか。そしてここから更に推測を重ねると、「恩賜の拳銃はあくまで満州事変の際のプレゼントだから、今田と神兵隊事件とは無関係」と言うことになりそうである。
おまけ
私共の同志にして先輩である国士舘大学教授蓑田胸喜氏が(以下略)蓑田胸喜って右翼の大物として超有名らしいのだが
上掲書 p.23
左翼はもちろんのこと他の右翼大物にも所構わずかみつき、石原莞爾とか中野正剛とかがとっても迷惑していて、
「蓑田の「胸喜」は「狂気」が正しい」とすら陰口をたたかれ、
戦後自殺したときには岩波茂雄(岩波書店の創業者)に「あの人はやはり”本物”であったか」とまで言われたという
…そんなの同志にしてる片岡って…( ゚д゚) ポカーン
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