拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
この記事で片倉衷が今田新太郎を落とすような発言をしていたことは指摘したが、
その後いろいろ調べてみて、片倉衷の「満州事変時の今田新太郎」記述が時代と共に微妙に変わっていることに気が付いた。
としていたのが
結論 片倉衷は今田新太郎のことが嫌いだったんだろう、多分。
おまけ
『戦陣随録』『挫折した理想国』では今田だけ早く帰国した理由は「駒井徳三顧問との対立」にあったとしてるなあ。前回の考察はちょっと見直しが必要か。
その後いろいろ調べてみて、片倉衷の「満州事変時の今田新太郎」記述が時代と共に微妙に変わっていることに気が付いた。
151 ページ
... ふみきった。結局、これは当時石原参謀が主張した、行政の指して板垣参謀に意見を具申した。しかし,参謀長は板垣、石原、松井各参謀とわたしを集めて会議には、第三課員は駒井氏に対する反感から、その部下になることを好まず、今田大尉等数名は連署...
『挫折した理想国』1967年
http://books.google.co.jp/books?ei=JQqGUbSdOYLTkwWu-oHwAw&hl=ja&id=M1hOAAAAMAAJ&dq=%E4%BB%8A%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E&q=%E4%BB%8A%E7%94%B0#search_anchor
144 ページ「満州国顧問・駒井徳三と今田新太郎その他数名(第三課のメンバー)が対立したのが今田新太郎早期帰国の理由」
片倉衷 結局予定通り第三課を廃止し、統治部一本とすることに一決し、今田大尉等を説得した。意見を具申するところがあったが、参謀長は、板垣、石原、松井各課長ならびに私を集め協議し、就任せる駒井顧問に対する反感から、今田大尉外数名は、その指揮 ...
『戦陣随録』1972年
http://books.google.co.jp/books?ei=JQqGUbSdOYLTkwWu-oHwAw&hl=ja&id=MEAFAAAAMAAJ&dq=%E4%BB%8A%E7%94%B0%E6%96%B0%E5%A4%AA%E9%83%8E&q=%E4%BB%8A%E7%94%B0#search_anchor
としていたのが
「今田大尉がノイローゼになったんだ、仕方なく内地に転任させた。あの人は18日夜、(北大営を急襲し、張学良の命令でほとんど無抵抗の)支那兵を切った。抵抗しない人間を切ると印象に残るもんだ。幻想に襲われて夜眠れない。今田が、そうだと言うんじゃないが、軍人が勲章ほしさに好んで殺傷するようじゃ修養が足りないんだ。」おやあ?これはどういうことかいな。
『将軍の遺書-遠藤三郎日記』1986年
※なおこの元ネタの初出『片倉衷談話速記録』は1982~1983年発行
結論 片倉衷は今田新太郎のことが嫌いだったんだろう、多分。
おまけ
『戦陣随録』『挫折した理想国』では今田だけ早く帰国した理由は「駒井徳三顧問との対立」にあったとしてるなあ。前回の考察はちょっと見直しが必要か。
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