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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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前回のこの記事
・今田は柳条湖事件の謀議にはかなり後から参加したこと そして一番早く満州を離れたこと
・それは参謀本部のどこかからの命令であること
・柳条湖事件の遂行には、計画者の石原莞爾よりも強硬な姿勢を示していたこと
・が、それはどうも今田本来の思想信条とは矛盾している
を述べた。

この辺に関して,現在今田新太郎の日記類も発見(公表)されておらず、柳条湖事件に関するほぼ唯一の詳細な証言である花谷正証言も全く触れていない。なので憶測ばかりになるが、考察してみる。



まず、今田新太郎を柳条湖事件に巻き込んだのは誰か?
やはり、以前の私のこの記事で書いたが、莞爾と新太郎のつながりが大正12年(1923年)にさかのぼるとなると、新太郎を知っていた莞爾の指名で呼ばれた可能性は捨てきれない。

しかし、前回記事で紹介した「今田町日誌(仮)」を見ると、そう断定できない部分もある。
もう一度日誌の新太郎が臨時帰国した10日間を見てみよう。
3/21 午前8時帰宅
3/23 小田原へ行く
3/26 小田原より帰宅
3/27 訓令を受ける
3/28 町、新太郎の要請で女中を捜す、「片岡」という人物が来訪する
3/29 女中と片岡を引き合わせる 昼、河本(ばんない注 阪本氏の推測では河本大作、あの張作霖爆殺事件の首謀者である)と昼食を共にする
3/30 町、明日出発の新太郎と女中を同行させるために女中に心付けをする、が夜になって女中の両親が断ってくる
3/31 9:45、出発。町、女中の姉の家に回って、相談が調い女中が同行したことを送りに行った者から聞いて安心する
4/10 4/6に奉天着、「感慨決心」の手紙を送る
この日誌を取り上げた阪本芳直氏の指摘では「わずか10日の帰国の間に3/23から3/26の4日間も小田原に旅行に行っているが、参謀本部が私的な旅行は許さないと思われるので、この4日間は小田原でこの件に関する謀議に参加していた可能性がある」としているが、私も同意である。
が、この3/23~3/26は莞爾は満州にいて日本にはいないのである。
3月23日 夕食中、鈴木大佐来れりとて参謀長宅に至り後、弥生(「弥生」はこの日記で頻出する奉天の料亭)にて会食 午後榊原氏来る
3月25日 佐藤、鈴木両少佐来る 「外務省を打撃する為暴露戦術の採用と其組織」
3月26日 F大王の分を終る 中野、竹下両氏着任 午前中佐藤少佐中心に座談 午後出発す
「石原莞爾日記」昭和6年(『石原莞爾選集 書簡・日記・年譜』)※原文は漢字カタカナ交じり文
日記に嘘書いてたと言われればそれまでなんですが、あの柳条湖事件に至る経緯も簡潔ながらばっちり書いている日記が、莞爾が日本へ隠密帰国したとしてもそれを隠すわけ無いと思われます。
ということは、この小田原謀議には莞爾以外の誰かが新太郎を呼んだと考えられます。
しかし、私は更に引っかかります。柳条湖事件は莞爾一世一代の「作戦」なのです。それを起こすのに自分、板垣征四郎、花谷正だけでは心許ないので更に新太郎を急に招聘するのです。それを他人任せにするのだろうか?もしかしたら新太郎が断る可能性だって考えられます。莞爾本人が要請するのが自然ではないでしょうか。しかし莞爾は日本に帰国していない。それなら誰が新太郎を小田原に呼んだのか?
そこで私が気になるのは、これまた前回の記事に書いた遠藤三郎の回想です。参謀本部の某氏が「驚いたろう!」と言ったという…。小田原に新太郎を呼び出したのは、この参謀本部の某氏に代表される「石原莞爾の構想に賛意している誰か」ではないのか。そしてその人物とは、新太郎がこの要請を断ることを許さないほどの力を持った人物ではないのか。

その推測を裏付けるような話はあります。
上記「今田町日誌(仮)」の昭和6年4/10、新太郎は母に宛てて「感慨決心」の手紙を送ります。新太郎は筆まめだったらしくよく手紙・ハガキを母に送ってますが、その内容に関して「感慨決心」とまで母親が感じるような手紙とはよっぽどの内容だったと思われます。
もう一つは、この記事で紹介した新太郎が陸軍から出向し「張学良の軍事顧問」になったときの政府許可書です。新太郎の出向に関して阪本氏がカムフラージュ工作ではないかと指摘していたのは前の記事にも書きました。私はその新太郎の出向をかなり軽く考えていたのですが、何と総理大臣の決裁まで経て天皇への上奏がいるという大変なものだったとはこれで初めて知りました。つまり、これほどのことをしてまでも新太郎にこの「作戦」に参加させよう-そして万が一失敗したときには「外国の顧問だから」と切り捨てるように処置したという"誰か"がいたわけです。

以上から考える今のところの私の推測ですが
・今田新太郎を柳条湖事件に巻き込んだのは石原莞爾の指名かも
・ただし今田新太郎を実際に呼んでその措置を行ったのは、新太郎がその要請を断ることが不可能な、莞爾とは別のもっと上層の人物
…こう考えると、柳条湖事件に於ける今田新太郎の過激な行動が分かりやすいのです。
陸軍本体から"留め男1号"建川美次参謀本部第一部長が来るという連絡を受け、あの莞爾ですら中止に同意したというのに、新太郎はその半日後に決定をひっくり返してしまいます。それは「かなり上層部の誰か」から必ずこの事変を遂行させるよう命じられていたからではないのか。ここまで強硬な行動に出たのは、関東軍(板垣征四郎、石原莞爾)や奉天機関(花谷正)というあくまで日本陸軍の部門に所属している3人と異なり、建前上外国の所属となっている今田新太郎にはこの事変を遂行するしか生き延びる道がなかったからではないのか。

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