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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
莞爾のことがどーでも良くなってきたヾ(^^;)
でも今田新太郎を調べるのには、莞爾関連本を読むしかないという…_| ̄|○



石原莞爾と今田新太郎のなれそめについては、石原莞爾研究の第一人者である野村乙二朗氏も
今田(新太郎)と石原(莞爾)の接点は、共に満州事変勃発時点での謀略に関わったことにありましたが
p.176 『毅然たる孤独 石原莞爾の肖像』
と満州事変(柳条湖事件)に緒を発するとしている。

しかし、私は前のこの記事で「石原莞爾と今田新太郎が知己になったのは少なくとも莞爾がドイツに留学する前の大正12年(1923年)以前」とした。
では、莞爾と今田新太郎が知りあうきっかけとなったのは何だったのか?

まず前にも書いた
・陸軍仙台幼年学校の先輩後輩
と言う関係をあげることが出来るが、石原莞爾のいろいろな伝記を見ても、かつての赴任地だった会津に対する愛着はよく描かれるものの、幼年学校とのつきあいについては触れている文献はなかった。
ここから見て、仙台幼年学校の関係で新太郎と知りあった可能性はかなり低いと見て間違いないだろう。

その他、大正12年以前の莞爾と新太郎の経歴を見比べて接点があるかどうかを検討してみた
今田新太郎略歴
大正7年(1918年)5月 陸軍士官学校卒業
大正7年12月 陸軍少尉任官 近衛歩兵第4連隊付
大正11年(1922年)3月 陸軍中尉任官
大正11年12月 陸軍大学校入学
昭和2年(1927年)7月 陸軍大尉任官 参謀本部付(支那班)
昭和3年(1928年)8月 参謀本部員(支那班)
昭和4年(1929年)8月 参謀本部付(支那研究員)
「今田新太郎-五十年前の一枚のハガキから」『中江丑吉の肖像』阪本芳直著p.273参照
石原莞爾略歴
大正7年(1918年)11月 陸軍大学校卒業(次席)
大正8年(1919年)4月~ 陸軍大尉任官 会津若松第4中隊長
大正8年(1919年)7月~ 教育総監部付
大正9年(1920年)4月~ 中支那派遣隊(漢口)司令部付
大正10年(1921年)7月~ 陸軍大学校教官
大正11年(1922年)7月 陸軍大学校附 同年9月ドイツ留学を命じられる
大正12年(1923年)9月~ ドイツ留学
大正15年(1926年)12月~ 陸軍大学校教官
昭和3年(1928年)10月~ 関東軍参謀
『石原莞爾選集9 書簡・日記・年表』所収年表(p.241)を基に作成
唯一可能性があるのは、大正11年12月~大正12年9月の間、莞爾が陸軍大学校教官で新太郎が生徒だった頃であろう。
ただし、新太郎が入学したときには莞爾は既にドイツ留学を命じられ教壇からは退いているので接触は薄かったと思われる。莞爾の大学校学生時代の武勇伝(入試の時に機銃掃射を発案したとか、本当は首席卒業のはずだったのに色々あって次席になったとか)ぐらいは新太郎も聞いていたかも知れませんが。
一方の新太郎の方も卒業時の上位6名には入ってないので、やはり目立たない存在だったのではと思われる。

しかし新太郎は目立たなくても、新太郎の父親は莞爾も知っていた可能性があると私は考える。
(ばんない補記 今田主税(新太郎の父)は) 幼い頃から剣法学や柔道を習い、また、父に学び、漢学を研究する浪人生活を送った。詩人の副島蒼海など交友は多く、特に、ご近所の縁から家族ぐるみの付き合いをしていた思想家の中江兆民との親交は厚かった。晩年は玄洋社の総帥の頭山満らと交友をもった。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/imada_chi.html
中江兆民…はともかく(^^;)、「副島蒼海」こと副島種臣や頭山満などに有名人マニアの莞爾(中央幼年学校時代~士官学校時代には大隈重信や乃木希典などの名士訪問が趣味であった)が興味を持った可能性は高いと思う。

一方の新太郎にも、莞爾に興味を持つ可能性はあったと思われる。それは莞爾が陸大教官就任前に中国に赴任していたことである。新太郎は幼少時から漢籍の素読で鍛えられるなどの家風から、早くから中国に興味を持っていた。
大正五年五月に書かれた「陸軍中央幼年学校生徒今田新太郎再拝謹デ書ヲ明石将軍閣下ニ上ル」で始まる上書きの草稿が残っているが、これを見ると「新太郎夙ニ素願アリ、支那諸学ノ研究、剣道ノ修行、是ナリ、入校以来是志ヲ懐キ、国家ニ貢献センコトヲ期ス(中略)臣子是天職ヲ尽クスニ於テ、予メ其用意無クンハアラス、我帝国ノ地形歴史ハ即チ支那ト特殊ノ利病ヲ有ス、支那ノ治乱ハ即チ帝国ノ利病ニ影響ス、今ヤ東方ノ天地暗澹トシテ其将来測リ知ル可カラサルモノアリ、是ニ於テ其言語国情ニ通暁スルハ、方今第一ノ急務ト為ス、(後略)」と記されており、中国への志が並々ならぬ物であったことが分る。
前掲「今田新太郎-50年前の一枚のハガキから-」p.273
中国から帰ってきたばかりの莞爾に、現在の中国の様子を聞きにいったことぐらいはあったと考えても良いのでは無かろうか。

そういうところから交流が始まって、莞爾のドイツ留学中には、新太郎から手紙を送るくらいの関係にはなっていたと言うところではないだろうか。

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