拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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前の話で
その記事のタイトルが「現代軍部論」。実は昭和9年12月号に前編があったようなのですが(コピーして貰った記事は「現代軍部論 下」だった)そっちは読まなくてもだいたい分かるようなので省略_(。_゜)/
内容は「鐵甲散史」といういかにもなペンネームの人が、日本陸軍の内幕暴露を対談調で話してる…という構成です。
かなり長い記事なので要点のみ抜粋で行く。
※注意
戦前の文章のため、本来は旧字旧仮名遣いですが、適宜新字新仮名遣いに改めております。御了承下さい。
前の話で
※雑誌『維新』昭和10年1月号にうっかり載ってしまったのがひとくくりにされた理由のようですと書いたのだが、果たして『維新』なる雑誌でどういう風に書かれてしまっていたのか、段々気になってきて、国立国会図書館で検索したらこんな古い雑誌なのに運良くバックナンバーが残っていたのでした。で、最初に目次をコピーしておくってもらい、恐らくこの記事じゃないかと目処を付けた物を再度コピーしておくって貰ったのでした。
その記事のタイトルが「現代軍部論」。実は昭和9年12月号に前編があったようなのですが(コピーして貰った記事は「現代軍部論 下」だった)そっちは読まなくてもだいたい分かるようなので省略_(。_゜)/
内容は「鐵甲散史」といういかにもなペンネームの人が、日本陸軍の内幕暴露を対談調で話してる…という構成です。
かなり長い記事なので要点のみ抜粋で行く。
※注意
戦前の文章のため、本来は旧字旧仮名遣いですが、適宜新字新仮名遣いに改めております。御了承下さい。
C 問題の人としてまず指を屈せねばならぬは真崎大将でしょうな。あなたのご意見に従うと今日の陸軍には往年の長閥とか薩閥とかいった意味の閥関係は存在しないとのことですが、近頃頻りに荒木閥とか、真崎派とか、或いはこれと一緒にして荒木真崎閥もしくは真崎荒木閥とか言うことが世間に喧伝されておりますが、世間で問題になる以上やはりそういった閥的勢力朋党的勢力が部内に結成されて居るのじゃないでしょうか、<当てにならない解説>
(中略)
C いわゆる真崎派、と言って悪ければ真崎大将周囲の人々と目せられる連中はいったいどういう人々ですか
(中略)
A 所謂、所謂だよ、荒木真崎派と称せられている人々としては…
C まず第一に第一師団長柳川平助中将、第二師団長秦真次中将、人事局長松浦淳六郎中将、整備局長山岡重厚中将、東京憲兵隊長持永浅治少将、陸軍大学校幹事小畑敏四郎少将…
A なかなかよく知っているじゃないか、それなら何もわざわざ僕の解説を強要しなくてもよかりそうなものじゃないか。
D ここまでは誰でも知っているのです。諸種の新聞雑誌にも書かれて余りにも有名だから。それから以下のいわば中堅どころの陣容が知りたいんです。
A 所謂荒木真崎派-あくまで所謂だよ、僕自身は系派的に部内を見ることには反対なんだから-と目せられている中堅どころの人物としては、参謀本部では第二課長鈴木率道大佐、庶務課長牟田口廉也大佐、陸軍省では、軍事課高級課員土橋勇逸中佐、人事局補任課長小藤恵大佐、陸軍大学校では鈴木貞一大佐、満井佐吉中佐などがこの派の屈指の人物としてあげられている。最も之等の人々の中、真崎派の中に数え込んでしまうのはどうかと思われる人物も二三いるにはいるんだ。例えば小畑少将、鈴木貞一大佐、満井佐吉中佐などの陸軍大学校組はいずれかと言えば荒木直系とも言うべき人々で持永少将や土橋中佐などの如く純然たる真崎派と目し難い点もあるにはあるんだが、部内の勢力分野上、だいたい荒木派及び真崎派は一心同体と見て、一括して荒木真崎流と呼ばれている次第なんだ。
p.175、p.177
・荒木 荒木貞夫
・真崎 真崎甚三郎
・柳川平助 こういう人
・秦真次 こういう人 満州事変勃発時にあの花谷正に「こんにゃくオヤジ」と言われていたことが大森曹玄によって証言されている
・松浦淳六郎 こういう人
・山岡重厚 こういう人
・持永浅治 東京憲兵隊長という立場を利用して、皇道派を支援するような怪文書を巻きまくったりしたらしい
・小畑敏四郎 参照拙ブログこちら
・鈴木率道 石原莞爾と陸軍大学校同期、鈴木が主席で莞爾が次席だったが、これにはからくりがあったというのは有名な話。
・牟田口廉也 インパール作戦で余りにも有名なので書くこと無い
・土橋勇逸 こういう人
・小藤恵 2.26事件当時、歩兵第一連隊長。石原莞爾に「叛乱将校を説得するのが大事な役目」と首根っこを捕まえられるというシーンを目撃されている。
・鈴木貞一 参照拙ブログこちら。ここでは皇道派とされているが、後には東条英機の腰巾着に。戦後東京裁判で終身刑となるも途中で保釈、平成を突破して100歳まで長生きした。
・満井佐吉 こういう人 実は相沢事件で弁護人を務めたのは、本来は石原莞爾が弁護人に予定されていたのが何かの策略で石原が外されたからと言う。陸軍大学校教官時代は理路整然とした講義が人気があったらしい(『続陸軍大学校』)
C ところで、真崎派とか荒木派とか呼ばれる連中の中で、公平に言って誰が最も人物でしょうか、敵味方共に文句無しに人物として認めているのは誰でしょうかね。
A 人物と言ってもいろいろ標準があるし、なんとかかとか言われながらも、以上挙げたような連中もそれぞれ相当な人物で、それ故にこそ敵も多い訳なんだが、この派の中ではなんといっても、小畑少将が異色のある人物だね。専門的な意味に於ける戦略戦術の大家であるばかりでなく、相当政略にも長じていて、所謂荒木真崎派の帷幄にあって水も漏らさぬ人事作戦をやっているのも、実は彼小畑敏四郎に他ならないのだ。白頭媼顔、ちょっとモルトケを思わせるような風貌からが、既に普通と変わっている。端的で一本気で、こうと思い込むと一歩も後へ引かぬ所、荒木を擁して終始一貫、その忠実さを諭えぬ点なぞ、好漢なかなか愛すべき性格を備えているのだ。ただ好漢惜しむらくは真崎大将と同じく愛憎の念が強く、従って偏狭で党派的で敵と認めるとあくまで迫害せずにおかぬといった一面があって之が必要以上に彼を奸物視させている主因なのだが、根が意地っ張りで一徹な男だけに悪評を受ければ受けるほど益々持ち前の偏狭性を発揮して、ますます不必要に敵を作りつつあるわけなのだ。も少し視野を大きくして、荒木のために図って忠なるに専念するよりは全陸軍に忠なるを念とするに至るならば、非常時陸軍としては彼の将来に寄託するところ頗る大なる物がある次第だが、器局の狭いのがなんといっても玉に瑕で、全く以て惜しい人物ですよ。
p.179
C それでは最近部内の朋党比周的な傾向を慨嘆して、皇軍としての本念に相応しい一致団結を確立し、部内人事を刷新して速やかに粛清の実を上げねばならぬとする要求が、中央にも地方にも高まってきて、所謂清軍運動という物が全国的に台頭しているとのことですが、その清軍運動を指導しもしくは支援している人々について話して頂けませんか。<またまたあてにしないで欲しい解説>
D 清軍派の人々を或いは統制派とも言うんでしょう、何時か或る雑誌か何かで見ましたが。
(中略)
A これは一本参ったね、まさにその通り。それでは所謂統制派の人々を一瞥しましょう。(中略)先ず第一には今度関東軍司令官として満州行きに決定した南次郎大将、南大将を例の一派の人々は宇垣派ででもあるかの如くに宣伝これ努めたものであるが、南大将は宇垣派はむろんいずれの派にも属せず、公平中正で清軍意識頗る旺盛、(中略)それから軍事参議官松井岩根大将、松井大将が例の大亜細亜協会を中心に陸海軍の中堅将校と密接な関係があり青年層にも支持者が多いところから、之を嫉視する一派から例によって例の如きでま放送を頻りに放たれたものだが括淡豪快の好武将で、部内支那通の第一人者(中略)南大将、松井大将に次では第五師団長小磯国昭中将、第十師団長建川美次中将、第二十四旅団長東条英機少将、今度関東軍参謀副長に決定した板垣征四郎少将などが統制派の主だった人々で、(中略)東条中将は未だ部外には余り広く知られていないが、統制派中の鏘々たる英霊漢で、清軍意識も最も尖鋭、(中略)永田軍務局長と最も好く、終始地方から永田を鞭撻激励しているようであるが、由来九州は所謂荒木真崎一派の金城湯池で、這の間にあって東条の久留米に旅団長たるは、清軍運動の上から言えば「西垂僅かに存す臣武光」敵意義を帯びるもので、とにかく荒木派の小畑に匹敵する存在である。
C 中堅どころではどういう人がおりましょう
A (前略)参考のために就中注目すべき人々を挙げると、歩兵第四連隊長石原莞爾大佐、ご承知の通り満州事変当時の関東軍の参謀であり、専門的造詣に於いても我が作戦用兵学の第一人者だ。それから三島重砲兵連隊長橋本欣五郎大佐、(中略)それから第十一師団参謀長の重藤千秋大佐、歩兵第四十一連隊長樋口季一郎大佐、熊本第五師団参謀の佐藤幸徳中佐、(中略)更に第十六師団参謀の長勇少佐、前の支那班長で中支武官に転出した影佐貞昭中佐、甲府連隊の今田新太郎少佐、鴻台砲兵連隊の田中隆吉中佐などは地方に於ける統制派の錚錚たる分子である。(中略)中央部に於いては新聞班長根本博大佐、調査班長坂西一良大佐、今は外遊中の前調募班長池田純久中佐、調査班の田中清少佐、参謀本部では露西亜班長の神田正種中佐、今度和知鷹二中佐と変わって広東に行くことになった臼田寬三中佐、(中略)対満事務局入りを伝えられる片倉衷少佐などは清軍意識旺盛で、部内の一党一派的対立の一掃に努力している人々である。
D 統制派なり清軍派なりに対してシンパ的関係にある上級の人々は誰々です。
A 先程も言うとおり清軍は部内当然の要請であるから苛くも公正な考えを持っている人々は悉く清軍のシンパたらざるはないが、特に熱心に之を支持している人々としては、軍事参議官渡辺錠太郎大将、朝鮮軍司令官植田謙吉大将、台湾軍司令官寺内寿一中将、関東軍憲兵司令官岩佐緑郎少将などで、就中渡辺錠太郎大将は南大将満州赴任後は軍事参議官中の古参者となるわけであるから、大に清軍の要望達成に努力するであろうと期待せられて居る。
C 次官とか局長とか言った人々は清軍の要請に対してはどういう立場を取っているのですか。
A 橋本次官、永田軍務局長、橋本軍事課長などもむろん中心清軍の要請に同意であり、(以下略)
p.180~183
・南次郎 こういう人。実は満州事変勃発時に陸軍大臣で、えらい目に会った人である。
・松井岩根 有名すぎて書くこと無いが、こういう人。
・小磯国昭 こういう人。
・建川美次 今までも何回か出てきたが、柳条湖事件留め男1号さん。結局止められなかったけど。片倉衷をして「敬仰すべき幾多の教訓を得た」人物らしい。
・東条英機 有名人故説明略
・永田軍務局長 永田鉄山 有名すぎて書くこと無いが、所謂「統制派」のボスとされた人。後に相沢三郎少佐により白昼に陸軍省の役所内で暗殺されてしまう(相沢事件)。
・板垣征四郎 この人も有名人なので説明略
・石原莞爾 この人も(以下略) 今田の師匠とも言われる人
・橋本欣五郎 こういう人 趣味は「革命」。寄るな危険。
・重藤千秋 こういう人
・樋口季一郎 石原莞爾の陸軍士官学校同期生。ユダヤ人の満州国亡命に一役買ったと言われる。アッツ・キスカ防衛司令官。
・佐藤幸徳 石原莞爾の同郷にして仙台陸軍幼年学校後輩。インパール作戦に反対し、ついには命令に抵抗(抗命)したため、軍法会議に送られるも「発狂した」とされることで一命を取り留めた。
・長勇 こういう人
・影佐貞昭 今まで何回か登場したが、所謂「支那通」軍人の一人で、元自民党総裁・谷垣貞一の母方の祖父。
・田中隆吉 有名すぎる陸軍のモンスター。今田との関わりは拙ブログのこの辺。
・根本博 近年『この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~』で一気に有名になった人。
・坂西一良 こういう人。因縁の稲田正純さんの兄。
・池田純久 こういう人。
・田中清 詳細未詳。後に関東軍の参謀になったところまでは確認できたが…
・神田正種 こういう人。昭和32年の花谷証言では満州事変に深く関わっているとされるが…
・臼田寛三 詳細未詳 誰か御教示お待ちしております
・片倉衷 有名人なので書くこと無い(^^;) 今田との関わりはこの辺とかこの辺とか
・渡辺錠太郎 この後うっかり教育総監に任命されたばっかりに皇道派将校の目の仇にされ、2.26事件で暗殺されたのは有名。もしかしてこの記事もそれの一因になってるかも…
・植田謙吉 こういう人。石原莞爾が関東軍参謀副長に左遷されたときの関東軍司令官であり、植田は東条英機側に立ったため対立した。
・寺内寿一 こういう人。ニューギニアの戦いで今田所属の第36師団がこの人のためにえらい目に会わされた話はこの辺。
・岩佐緑郎 正しくは「岩佐禄郎」、関東憲兵司令官。2.26事件の後予備役編入。
・橋本次官 橋本虎之助 柳条湖事件勃発時に「留め男2号’s」として派遣されるも、石原莞爾に「橋本猫之助」と揶揄されるなどさんざんな扱いを受け、切れて帰国したのは有名かと。そりゃ切れるわな。
・橋本軍事課長 橋本群 こういう人
長々と引用させて頂きましたが
さて、ここで重要な指摘があります。前回のネタで書いた「磯部・村中弾劾リスト」を再度引用
関東軍司令官 南次郎大将 軍事参議官 松井石根大将『維新』の登場人物と比べて一人変な人がいることに目が止まりませんか?
第五師団長 小磯国昭中将 第十師団長 建井美次中将
第二十四旅団長 東条英機少将 関東軍参謀副長 板垣征四郎少将
三島重砲兵連隊長 橋本欣五郎大佐 第十一師団参謀長 重藤千秋大佐
歩兵第四十一連隊長 樋口季一郎大佐 第六師団参謀 佐藤幸徳中佐
第十六師団参謀 長勇少佐 駐支武官 影佐貞昭少佐
歩兵第四十六連隊 今田新太郎少佐 関東軍参謀 田中隆吉中佐
新聞班長 根本博大佐 前調査班長 坂西一良大佐
前調査班長 池田純久少佐 調査班 田中博少佐
露西亜班長 神田正種中佐 在広東 臼田寬三中佐
対満事務局 片倉衷少佐 軍事参議官 渡辺錠太郎大将
朝鮮軍司令官 植田謙吉大将 豪湾軍司令官 寺田寿一中将
関東軍憲兵司令官 岩佐緑郎少将 橋本次官 永田軍務局長 橋本軍事課長
…そう、石原莞爾!何故か磯部・村中リストでは石原莞爾の名前がないのです。うっかり忘れただけなのか、それとも何か思惑があってわざと載せなかったのか…
後、個人的な感想。
この記事を読むと、皇道派に対する評価は厳しく、統制派(清軍派)に対する評価の方が宜しいように思いました。この当時は「皇道派=選り好み人事ばっかりやってる人」たち、と言うのが世間一般の見方だったのでしょうな。
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