拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今回紹介させて頂く史料は『鈴木貞一氏日記』です。全部が翻刻されているわけではなくて、一部が『史学雑誌』(87(4)467-492 史学会)に紹介されています。
この昭和9年分に1箇所だけ今田新太郎が登場します。これが中々味わい深い。なお原文は漢字カタカナ交じり文ですが、変換が面倒なので漢字ひらがな交じり文にて紹介致します。
では。
この昭和9年分に1箇所だけ今田新太郎が登場します。これが中々味わい深い。なお原文は漢字カタカナ交じり文ですが、変換が面倒なので漢字ひらがな交じり文にて紹介致します。
では。
(昭和9年)3.2<毎度恒例あてにしないで欲しい補足>
一、夕六時より今田(新太郎)少佐と山ノ下茶屋に懇談す。皇国及び皇軍将来の件なり。同人はよく小生の思想を継きあり。又客観的観察小生に合する点多し。
一、荒木、林両軍に対する観察も同様なり。老人が小児の如き心事にて互いに相反目するは不可なり。他の長短はよく之を究め自己の内心に省し彼此長短の融合を期すへきなり。融合の根本は吾れ公民にして皇軍の一員たるの根本に存す。
二、今田氏の談に依れは、林将軍は過半石原大佐を招き諸事相談したるか、その時将軍は石原に対し、
自分は全く孤立無援なり。故に御援助あり度し云々。
と告げたりとのことなり。大臣たるものヽ言として甚たしく軽率ならすや、尚曽て仙台に行きたる時も同人に対将来の軍務局長は永田少将か可なる旨述へ、自分が大臣となりたる如き口吻を洩し、石原氏はその愚を笑いおりたるとのことなり。
『史学雑誌』87(4)p.479
・山の下茶屋 詳細未詳。同日記の2/14条に出てくる「山茶屋」と同じ物か。料亭?
・荒木 荒木貞夫大将。元陸軍大臣(~昭和9年1/23)にして皇道派のトップ。
・林 林銑十郎大将。荒木の後を追って陸軍大臣になった。越境将軍。
・石原大佐 石原莞爾。この時は仙台歩兵第4連隊長。
・永田少将 永田鉄山。
つぎに気になる文章など
「同人はよく小生の思想を継きあり」
→この当時の鈴木貞一は皇道派。その鈴木が今田を「自分と同じ思想で、観察内容も自分と同じ」と言っているのは非常に興味深い。
「老人が小児の如き心事にて互いに相反目する」
→荒木と林がこの頃いい年こいてケンカしていたと言うことだろうか。
「今田氏の談に依れは~」
→林銑十郎が石原莞爾を頼り切ってしまっていること、また、今田がこの時点でまだ連隊長にしかすぎない石原莞爾の動向を探るキーマンになっていることが伺えて興味深い。
この日記を読んで思ったことですが
・軍の動向は勿論、政界要人との宴会、会議ばっかりの記述で、この人は所謂
・1/27条で東条英機から「お前の次の配属は連隊長だから」と言われて激しく動揺する鈴木貞一。そんなに現場仕事が嫌いか(苦笑)3/5条で結局陸軍大学校教官となり「多年の望み(だった配属場所)」とか書いて安心しているが。
・ちなみに上記1/27条で「東条は将たる器に非ず」とまで書いている鈴木(爆)この先のことを知っている私たちとしては呆れざるを得ない…
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。