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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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私は他の番組を見ていたので、詳細は不明なのだが

大化改新 隠された真相
645年に起きた古代史最大の事件「大化改新」。『日本書紀』によれば、天皇を脅かす権勢を誇り、改革の障害となっていた蘇我入鹿に対する中大兄皇子や中 臣鎌足のクーデターとされている。しかし、事件の舞台となった都・飛鳥(奈良県明日香村)で次々に発掘される遺跡は、史実とは異なる真相を物語りはじめ た。
現在、昨年に引き続き、甘樫丘で蘇我入鹿の邸宅跡が発掘調査されているが、これまで発掘された蘇我一族の邸宅跡、飛鳥寺など関係する遺跡を総合すると、自らが盾となって都を要塞化し、あたかも王権を外敵から守ろうとしていた蘇我氏の側面が明らかになってきた。
その要が、飛鳥の入り口に位置し、都の外を一望できる甘樫丘だ。渡来系ともいわれ、大陸に情報ルートを持っていた入鹿は、巨大帝国・唐が倭国に侵略の矛先 を向けていることをいち早く察知、脅威に備え飛鳥の防衛網構築に力を注いだ。その一方で、古代日本の海の玄関であった大阪・難波を整備し、東アジア諸国と 協調路線の外交を繰り広げようとした。それなのに何故、入鹿は殺されなければならなかったのか?
さらにクーデターの後、中央集権的な律令国家を目指して行われたという大化改新の政治改革についても、『日本書紀』を古代中国語の音韻・語法から分析する最新の研究などから、その内容の信憑性に疑いが向けられ始めている。
一体、「大化改新」の真相はどこにあるのか?番組では、要塞都市としての飛鳥の全貌を浮き彫りにしながら、大化改新の隠された真相に迫る。

上記の番組説明をざっと読んだ限りでも、「蘇我入鹿=善人、”大化改新”側=悪人」という、善悪二分論によって話が展開されているように見受けられ、大河ドラマならともかくヾ(^^;)「NHKスペシャル」というドキュメンタリー枠番組としては問題があるように思われる。

また、実はかなり前から出ていた論を、まるで最近出てきたかのような新説として取り上げているのにも問題がある。

取り上げた人物が蘇我入鹿、中大兄皇子、中臣鎌足だけというのも問題だ。学習院大学の遠山美都男氏らが”大化改新”キーマンとして以前から指摘している孝徳天皇、蘇我入鹿の親戚である蘇我倉山田石川麻呂などはいないに等しい扱いか(苦笑)

こりゃ、ドキュメンタリーでも検証番組でもない
単なる創作ドラマだろ

そしてやはり、ネット上で感想をちらちらと見ている限りでは
非常に、評判は悪い
その一方で、こんな今更な説の再構成番組を「さすがNHK!」と見事に引っかかった賞賛する人も多い。こういう人が先日のなっとー騒動に引っかかったんだろうな
ブログの検索結果

その問題多き番組の一端を、ある有志の方がHPにまとめてくれていた!
(仕事が速いですね…)
Nスペ 捏造!白村江の戦い
…確かに駄目だこりゃ
確かに「冬のソナタ」など韓国ドラマや韓国ソフト無しでは成り立たないと言う、日本の国営放送としてあまりにも恥ずかしいお粗末ぶりを晒し続けている、昨今のNHK。中国の経済発展はやたら目鱈賞賛を持って伝えて、その裏で起こっている問題はほとんど報じないNHK。
でも、韓国・中国へのこび売りを古代史にまで広げる必要はないだろ!

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日本書紀に、信頼に差がある2種の筆者 天文現象で分析

2006年12月06日

複数の筆者が書いたとされる日本書紀で、天文に関する記述が実際の観測と合う筆者と、そうではない筆者の2タイプいることが、天文学の研究でわかってきた。書紀は筆者により表記の仕方が違うとされるが、内容の信頼度も差があるようだ。

河鰭(かわばた)公昭名古屋大名誉教授と谷川清隆国立天文台助教授らは、書紀の天文現象が中国の記録や計算結果と合うかどうか調べている。以前に書紀の天文記録の一部が事実だと示したが、筆者による違いにも着目した。

京都産業大の森博達教授(中国語学)は、日本書紀全30巻を、万葉仮名などの使い方で、筆者A群(14〜21、24〜27巻を担当)、筆者B群(1〜13、22、23、28、29巻)、不明(30巻)に分類している。Aは、当時の日本の社会常識に疎いことなどで渡来中国人、Bは、漢文の執筆能力が低いことなどで日本人(日本生まれの渡来人子孫も含む)との推測だ。

河鰭さんらの結果を合わせると、Aの巻に出てくる643年の月食が、日本では見られないものだった。彗星(すいせい)や超新星を表す記述は中国では記録されていないなど、事実と確認できる天文現象はない。逆に天智天皇の代に中国で見えた彗星2個が記録されていない。

Bの巻にある628年から681年の5回の日食は、年代の誤記とみられる1例はあるが、いずれも日本で観測できたと認められた。月食と火星食各1例も事実で、684年のハレー彗星など6個の彗星も、5個が中国の記録と一致した。

30巻には6例の日食があるが、暦から予報されたもので日本では見えない。逆に日本で見えたはずの日食はなかった。

こうしたことから、少なくとも天文記録ではB群の信頼性が高く、他は実際の目撃記録によらず書いたようだ、という。 (後略)
http://www.asahi.com/science/news/TKY200612060246.html


『日本書紀』の実際の執筆には少なくとも2人以上の人間が関わっているという説は、上記記事でも紹介されているように森博達氏が明らかにしている。

ただ、森氏の手法は言語学からのアプローチだったので、一般人にはやや理解が難しい点があった。今回は自然現象に注目したアプローチで、森氏の説を補強すると共に、著者以外にもまだまだある『日本書紀』の謎を解明するヒントにもなっていくのではとちょっと期待をしている。

ところで
河鰭(かわばた)公昭名古屋大名誉教授

変わった名字だが、もしかしてお公家さんの末裔?こちら

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書き込み自由!そのため嘘情報も多いと言われるネットの百科事典「wikipedia
でも、教科書じゃ絶対教えてくれない話にぶち当たるのも事実なんですよね…。

例えば。
この間調べ物をしていて、数珠繋ぎに調べてみると興味深い記事にぶつかりました。
平戸の名物お菓子「カスドース

博多の名物お菓子「鶏卵素麺

鶏卵素麺はタイにも伝わっていた!
しかも伝えたのはなんと大友氏の末裔らしい…
マリーって名前には仰天したが

ここから更に数珠繋ぎに調べてみると、ギリシャとかエリザベス女王とかともつながっていて、17世紀初頭の人の動きはなかなかダイナミックですね。
茶道のお菓子として有名な鶏卵素麺、こういう知識があると味わいも変わる?

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wikipediaの該当記事

主に薩摩における国人の統制などで活躍した。主に島津貴久に仕えた。島津義久の養育係でもあったといわれる。1549年には樺山氏と北原氏を和睦させ、同年の黒川崎の戦いでも父・忠朗とともに出陣して、暴風に乗じた奇襲策で肝付兼演を破り、降伏させている。これらの功績により、1558年からは島津氏の筆頭家老を務めることとなった。

大隅の肝付兼続を鹿児島に招いた宴席において不手際があったと相手方より詰られ、責任を強く感じ出家、隠居した。貴久・義久の強い要請によって一時は復帰したものの、嫡男の伊集院忠棟に後事を託し再び隠居。以後は身を退き表舞台に出ることはなくなった。



…これって、まさか参考資料は
『島津義久』桐野作人著
…じゃないよね…。いや、聞いたことも見たこともない具体的な話が多いと思ったんで、何となく(^^;)

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番組公式HPはこちら

…で
長屋王の変とか
藤原広嗣の乱とか
橘諸兄vs藤原仲麻呂の対立とか
光明皇后が聖武天皇に仏教を強く勧めたとか

肝心なことをはしょりすぎざんす

墾田永年私財法とか後から入れたので
全然意味が違う物にすり替わってるんですけど…墾田永年私財法が民衆の土地私有を認める法律、って歴史的意義が違いすぎると言うか大嘘だろこれ

大仏建立は聖武天皇と行基のファンタジック友情の物語じゃありませんってば>NHK
…まあ、聖武天皇が大仏建立を民衆の意思統合に使ったというのはそうだろうと認めますけどね

でもいつものことながらあきれるのは
どう見ても年代が違いすぎる『大化改新』とか『聖徳太子』のフィルムの使い回しはやめましょうよ
しかも平安初期が舞台の映画『空海』まで使い回してるし無理ありすぎるぞこれ

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