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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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図書館で借りてきました。

第17代徳川家当主・徳川家正氏の三女に生まれた保科順子さんの回想録です。
とはいっても、前半の明治初年度のことなどは16代当主・徳川家達の娘である松平綾子・鷹司綏子(二人とも既に故人)の回想をインタビューから書き起こした物ですが。

文章としての軽妙さは欠けるのでこれとかに比べると同じ華族の回想録でも非常に読みにくいのですが、実際その場にいた人の証言だけに、今までの資料などでは全く分からなかった血の通った姿が見えます。

例えば
来年の大河のヒロインである天璋院はどういう晩年を過ごしていたか
14代将軍の母・実成院はどんな晩年を送ったのか
13代将軍の母で天璋院と犬猿の仲だった本寿院は明治時代天璋院と同じ屋敷で暮らしていた
…などなど。

また、五摂家・近衛家から輿入れした徳川家達夫人・泰子が衣替えや年末の大掃除の時には自ら姉さんかぶりして先頭に立っていた話は非常に意外でした。

更に徳川家正と正子(なおこ)との結婚については天璋院の遺言による物であり(※正子は島津家29代当主・島津忠義の娘)、幕末の事情から徳川家と正子の間には確執があった上に、正子自身に外交官夫人としての華やかさとか社交性が欠けていたこともあって(※徳川家正は外交官だった)、正子は寂しい家庭生活を送っていたらしいことなど、今だからこそ話せるような貴重な証言が多いです。ちなみに島津家と徳川家の間は余り親戚づきあいも芳しくなかったらしい(^^;)

家正と正子の間に生まれた唯一の男子で跡取り息子だった家英が早くから両親と離れて暮らした点には『明治日本見聞録』で描かれた島津忠重(先述の忠義の長男)の姿に通じる物がありました。しかも家英は23歳の若さで没した下りはあまりにもかわいそうで…。旧大名家の跡継ぎに生まれるって言うのはそれだけで大変なのだなあ、と思いました。

大名華族の生活とか、明治維新後の徳川家とかに興味のある方は、読んでまず損のない本です。というか必読書だと思う。

拙ブログ関連ネタ
『明治日本見聞録』
『徳川さん宅の常識』

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おまけ

実はこれと一緒に借りてきた
人物事典 江戸城大奥の女たちに、意外な情報を発見してしまった。いや、こんな無関係な本からおもしろい話が見つかるとは…。近日中に元の史料を確認後に拙別館に反映させようと考えてます。
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