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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
偶然別件で検索中に引っかかったんですが

「島津貴久」の掛け軸

現在の所蔵は鹿児島県立図書館とのこと。
尚古集成館じゃないのね…

説明によると島津貴久が元服前に書いた物のようです。
となると10代前半の頃かな。
最も江戸時代以前はほとんどの嫡子が「虎寿丸」をなのっているので、他の人が書いた可能性もあるのだが_(。_゜)/
図書館が何を根拠にこの掛け軸を島津貴久の筆と断定したのか、説明では不明。

おまけ

その別件で検索中に見つけた、これまた別件なお話。
最近某知事のおかげで日本一ナウくてヤングなスポットヾ(^^;)の宮崎県から。
「南九州の桶狭間」木崎原合戦供養祭に伊東家子孫初参列

えびの市池島地区で4日、戦国時代に島津、伊東両家が南九州の覇権をかけて戦った木崎原合戦の供養祭が行われた。戦いに敗れた伊東家の子孫が初めて参列し、島津家の子孫と対面した。

合戦は1572年、現在の同市一帯で繰り広げられた。加久藤城を約3000人の兵で攻めた伊東軍を、島津軍の本隊約300人が急襲して破ったことから、「南九州の桶狭間の戦い」とも呼ばれている。1日で両軍合わせて約800人の死者が出たとされている。

主戦場となった池島地区の「木崎原古戦場祭史跡公園」には、両軍の戦死者を供養する「六地蔵塔」があり、地元の住民らが400年以上前から草刈りや献花を続けてきたという。

伊東家の供養祭への参加は、同地区が昨年末に呼びかけて実現した。東京都と埼玉県から5人の子孫が訪問。供養祭では、代表して東京都世田谷区の貿易会社社長、伊東泰三さん(66)が「これほどまでに先祖の供養をしてもらって感激しています」とあいさつ。島津家第32代当主の島津修久(のぶひさ)さん(69)(鹿児島市)は「敵味方分け隔てなく供養する島津の博愛精神は今も受け継がれています」と述べた。

供養祭を前に、3日夜には前夜祭も行われた。地区の全61世帯から約180人が参加。手作りの灯籠(とうろう)を掲げ、六地蔵塔前まで歩いて手を合わせた。この後、灯籠を地区内の沿道に飾った。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/045/045_070505.htm
…修久さん、思い切ったコメントをヾ(^^;)
はともかくとして、この「伊東家子孫」という東京の伊東泰三さん、少なくとも伊東本宗家の子孫ではないですね。
何でそこまで断言するかというと
アテクシ別館の史料請求するときに、伊東氏現当主のご許可をもらいに手紙を送らせていただきましたことがありますものので( ̄^ ̄)
伊東は伊東でも木崎原の合戦後に島津家の家臣になったりとかした人も多いので、そちらのご子孫かも。

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