拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
拙ブログでも「島津義久一人百首」なんて企画やってますからね、やっぱり勉強せねばと読んでみました
…難しかった_| ̄|○
というか、余り東国の戦国時代に興味がないもんで、人物関係とか理解しずらくヾ(--;)
以下詳しい感想など
・「(冷泉)為広は後述するように細川政元と親しかった。政元は飯綱の法と呼ばれる修験道の秘法に凝って女性を近づけず、あるいは修行と称して度々長途の旅行に出るなど、さまざまな奇行が知られているが、為広との交際は生涯に亘り続いている。為広は政元より十六歳も年長であるが、美男であったと言われ、両者に男色関係を想定しても良いであろう。」(P.192) ※下腺はばんない補足
…小川先生、こんな…面白いこと太字で強調しなくちゃ駄目です!ヾ(^^;)文字も28ポイントぐらいで(ヲイ)
ちなみに冷泉為広さんはでもネタにされてます、がこういう話は書いてなかったなあ…全然印象違うので読み比べると面白い。
・「近年、日本史学では「武士」象の見直しが進んでいる。「武士」とは単に殺人や戦闘の術を専らにした武装集団の謂いではなく、騎射の芸に代表される「武芸」を伝える者である、という。」(P.13)
実は島津さんのご先祖は近衛家に仕えていた武士というのが最近の通説で、ご先祖様のうちの何人かには勅撰集に採録された人もいるらしい。…なるほど、忠良おじいちゃんが和歌を推奨したのもこの辺に理由がありそう。
・源頼朝は意外にも和歌がうまかったようです。そして、その頼朝を敬愛して病まなかった徳川家康は、部下の林羅山を使って和歌を罵倒したのでした。流石文化音痴の家康ヾ(^^;)江戸時代に文化の発信者の地位から武士が転落したのもこの辺に原因があるのかもしれん。
…小川先生、こんな…面白いこと太字で強調しなくちゃ駄目です!ヾ(^^;)文字も28ポイントぐらいで(ヲイ)
ちなみに冷泉為広さんはでもネタにされてます、がこういう話は書いてなかったなあ…全然印象違うので読み比べると面白い。
・「近年、日本史学では「武士」象の見直しが進んでいる。「武士」とは単に殺人や戦闘の術を専らにした武装集団の謂いではなく、騎射の芸に代表される「武芸」を伝える者である、という。」(P.13)
実は島津さんのご先祖は近衛家に仕えていた武士というのが最近の通説で、ご先祖様のうちの何人かには勅撰集に採録された人もいるらしい。…なるほど、忠良おじいちゃんが和歌を推奨したのもこの辺に理由がありそう。
・源頼朝は意外にも和歌がうまかったようです。そして、その頼朝を敬愛して病まなかった徳川家康は、部下の林羅山を使って和歌を罵倒したのでした。流石文化音痴の家康ヾ(^^;)江戸時代に文化の発信者の地位から武士が転落したのもこの辺に原因があるのかもしれん。
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趣味と和歌
魔法半将軍様は、もっと知名度あっていいと思うの。
家康の歌って、写実的というか正岡子規っぽい感じで、
現代なら全然OKなのになぁ
ネーミングセンスも、そのものズバリで、実利の家康らしい。
今川家で成長したから、一応、和歌の知識はあったみたいで、
氏真さんとは、和歌談議してたとか(某まとめより
茶道具は関心なさげだけど、香道が趣味、、、
現代なら香道はメチャクチャお金かかるから、庶民は手が出せない(; ̄O ̄)
香道も今川家でデビューかが、気になる。
実は麿氏真が好きなんです。
今川への興味から肥前今川を調べたりしてました。(; ̄O ̄)
家康の歌って、写実的というか正岡子規っぽい感じで、
現代なら全然OKなのになぁ
ネーミングセンスも、そのものズバリで、実利の家康らしい。
今川家で成長したから、一応、和歌の知識はあったみたいで、
氏真さんとは、和歌談議してたとか(某まとめより
茶道具は関心なさげだけど、香道が趣味、、、
現代なら香道はメチャクチャお金かかるから、庶民は手が出せない(; ̄O ̄)
香道も今川家でデビューかが、気になる。
実は麿氏真が好きなんです。
今川への興味から肥前今川を調べたりしてました。(; ̄O ̄)
和歌集
ばんない様
和歌と寺はなるべく避けているのですが、『戦国時代和歌集』(川田順・著)をたまたま持っていたので索引を見ました。島津家は6人エントリーしていますね。家久6・貴久1・忠良5・歳久1・義久13・義弘3の各首が掲載されていました。一先ずご報告をば。
時之栞様
初めまして。いつもコメント拝見しています。今川氏真が主人公の小説だと『天下を汝に』があります。なかなかの面白さですが、残念なことに絶版です(もしご存知でしたら失礼しました)。特に本能寺の変の描写は秀逸でしたよ。元康(家康)は義元に可愛がられましたから、義元が好んだ連歌を手ほどきされたかも。義元と疎遠だったらしい寿桂尼は外孫の北条氏規を猫可愛がりしていますから、氏真は家族内で浮いた存在だったような気がします。私見ですが寿桂尼在世時は正室(早川殿)とも同衾していなかったんじゃないかと……。
和歌と寺はなるべく避けているのですが、『戦国時代和歌集』(川田順・著)をたまたま持っていたので索引を見ました。島津家は6人エントリーしていますね。家久6・貴久1・忠良5・歳久1・義久13・義弘3の各首が掲載されていました。一先ずご報告をば。
時之栞様
初めまして。いつもコメント拝見しています。今川氏真が主人公の小説だと『天下を汝に』があります。なかなかの面白さですが、残念なことに絶版です(もしご存知でしたら失礼しました)。特に本能寺の変の描写は秀逸でしたよ。元康(家康)は義元に可愛がられましたから、義元が好んだ連歌を手ほどきされたかも。義元と疎遠だったらしい寿桂尼は外孫の北条氏規を猫可愛がりしていますから、氏真は家族内で浮いた存在だったような気がします。私見ですが寿桂尼在世時は正室(早川殿)とも同衾していなかったんじゃないかと……。
家康の和歌
時乃栞様コメントありがとうございます。
>家康の歌って、写実的というか正岡子規っぽい感じで、
現代なら全然OKなのになぁ
す、するどい。
実は上掲の本でもそのことが問題となっています。最初の章と最後の章だけでも読んでもらうと分かるかと。
要は「今の感性と昔の感性は違う」ということでしょうか。
>香道
いくつか流派がありますが、何やってるかよく分からない印象が(汗)
そういえば家康は正倉院の蘭奢侍は切り取ってなかったような。
>肥前今川
あの今川了俊の弟の系列なんですね。初めて知りました。
>家康の歌って、写実的というか正岡子規っぽい感じで、
現代なら全然OKなのになぁ
す、するどい。
実は上掲の本でもそのことが問題となっています。最初の章と最後の章だけでも読んでもらうと分かるかと。
要は「今の感性と昔の感性は違う」ということでしょうか。
>香道
いくつか流派がありますが、何やってるかよく分からない印象が(汗)
そういえば家康は正倉院の蘭奢侍は切り取ってなかったような。
>肥前今川
あの今川了俊の弟の系列なんですね。初めて知りました。
『戦国時代和歌集』
高村様コメントありがとうございます。
>『戦国時代和歌集』
情報ありがとうございます。やはり義久がダントツに多いみたいですね。家久…義弘の息子の方なんでしょうね…
しかしご紹介の本の初版は1943年のようですが、古い本をよくぞお持ちでしたねえ。
>『天下を汝に』
未読ですが、軟弱大名・駄目な子として描かれる事が多い今川氏真が、ハイパー武将になってるというあれですね(苦笑)
>『戦国時代和歌集』
情報ありがとうございます。やはり義久がダントツに多いみたいですね。家久…義弘の息子の方なんでしょうね…
しかしご紹介の本の初版は1943年のようですが、古い本をよくぞお持ちでしたねえ。
>『天下を汝に』
未読ですが、軟弱大名・駄目な子として描かれる事が多い今川氏真が、ハイパー武将になってるというあれですね(苦笑)
氏真は
多分、江戸時代なら名君で通ると思う。
戦国なら、戦は避けたいという本音隠して家臣向けにハッタリかますもんだが、
氏真は、そういうの無さそう。
本は残念ながら未読です。トホホ
肥前戦国は、肥前今川、肥前千葉が縁戚で、それに少弍、地味に渋川絡みグダグダで面白いです。
1400〜1500くらいの間に大内が肥前千葉の家督に何度も介入し、肥前を引っ掻き回して最高にwktkなんですが、
何せ応仁の乱より前なんで、ついて来れる人が少ない(; ̄O ̄)
戦国なら、戦は避けたいという本音隠して家臣向けにハッタリかますもんだが、
氏真は、そういうの無さそう。
本は残念ながら未読です。トホホ
肥前戦国は、肥前今川、肥前千葉が縁戚で、それに少弍、地味に渋川絡みグダグダで面白いです。
1400〜1500くらいの間に大内が肥前千葉の家督に何度も介入し、肥前を引っ掻き回して最高にwktkなんですが、
何せ応仁の乱より前なんで、ついて来れる人が少ない(; ̄O ̄)
香道
香道は前職場社長が、趣味でやってたけど、お金かかるからって挫折しました。(; ̄O ̄)
自分が住む北海道には一支部しか無いですが、今でも習うのが名家名門か資産家ばっかりだから運営には支障なしだそうです。
茶道華道の基礎素養に必須が源氏物語の知識〜と言ってましたよ。
男色といえば、家康の衆道デビューも今川時代かな〜と想像してました。
自分が住む北海道には一支部しか無いですが、今でも習うのが名家名門か資産家ばっかりだから運営には支障なしだそうです。
茶道華道の基礎素養に必須が源氏物語の知識〜と言ってましたよ。
男色といえば、家康の衆道デビューも今川時代かな〜と想像してました。
ご挨拶が遅れました。
高村様、初めてまして、こちらこそコメント拝見させて頂き勉強になります。
本は残念ながら未読です。
早川殿とは、夫婦円満な印象だったので意外でした。
北条と家康の関係は興味深いですが、今の所は九州郷土史で手一杯です。
凝り性だから、関係武家は因果関係調べるのに室町時代から調べるので時間がかかります。
ばんない様
島津からは離れるけど、今度は拙ブログで肥前千葉氏を記事にします。(^ ^)
肥前戦国100年終わったら、また南九州に戻り肝付やるから、
そのときには、また本館のお世話になります。
つい長々と書き込み失礼しました。
本は残念ながら未読です。
早川殿とは、夫婦円満な印象だったので意外でした。
北条と家康の関係は興味深いですが、今の所は九州郷土史で手一杯です。
凝り性だから、関係武家は因果関係調べるのに室町時代から調べるので時間がかかります。
ばんない様
島津からは離れるけど、今度は拙ブログで肥前千葉氏を記事にします。(^ ^)
肥前戦国100年終わったら、また南九州に戻り肝付やるから、
そのときには、また本館のお世話になります。
つい長々と書き込み失礼しました。
徳川家康の○○
時乃栞様コメントありがとうございます。
>応仁の乱より前
南北朝~初期戦国時代っていうのはマニア過疎地帯ですから(汗)
この頃の島津も内部闘争ばっかりですね。
>家康の衆道デビュー
どうなんでしょう?井伊直政が相手としては有名ですけど。確かに残っている肖像画や木像は妖しげな雰囲気漂ってます(^^;)
そういえば過去に一度井伊直政ネタやってました。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/59/
>応仁の乱より前
南北朝~初期戦国時代っていうのはマニア過疎地帯ですから(汗)
この頃の島津も内部闘争ばっかりですね。
>家康の衆道デビュー
どうなんでしょう?井伊直政が相手としては有名ですけど。確かに残っている肖像画や木像は妖しげな雰囲気漂ってます(^^;)
そういえば過去に一度井伊直政ネタやってました。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/59/
東国話で恐れ入ります
御両所
駿府時代の早川殿は影が薄いのですが、大名でなくなった頃から活躍して、4人の男子も流浪の生活の中で生み育てています。夫婦仲はよかったというよりは、道楽者の氏真を尻に敷いて家を切り盛りしていたようです。
『天下を汝に』は、出版社の宣伝文句が「氏真は外交に優れたフィクサー」みたいな扱いですが、実際は状況に流され易い氏真をそのまま描いています。まあそこが面白いのですが、受けが悪かったらしく絶版に相成り(涙)。
駿府時代の早川殿は影が薄いのですが、大名でなくなった頃から活躍して、4人の男子も流浪の生活の中で生み育てています。夫婦仲はよかったというよりは、道楽者の氏真を尻に敷いて家を切り盛りしていたようです。
『天下を汝に』は、出版社の宣伝文句が「氏真は外交に優れたフィクサー」みたいな扱いですが、実際は状況に流され易い氏真をそのまま描いています。まあそこが面白いのですが、受けが悪かったらしく絶版に相成り(涙)。
『戦国時代和歌集』
ばんない様
家久についてですが、所収年が1593(文禄2)年なので義弘の息子の方ですね。有馬重純の死に当たって詠んだ6首が載っています。ちなみにこの前年から細川幽斎は薩摩にいたようで「あづまより越えくる春も隼人の薩摩路とほく立つ霞かな」と元旦に詠んだとあります。
この本は神保町で掘り当てたものの、何とも宝の持ち腐れになっております……。
家久についてですが、所収年が1593(文禄2)年なので義弘の息子の方ですね。有馬重純の死に当たって詠んだ6首が載っています。ちなみにこの前年から細川幽斎は薩摩にいたようで「あづまより越えくる春も隼人の薩摩路とほく立つ霞かな」と元旦に詠んだとあります。
この本は神保町で掘り当てたものの、何とも宝の持ち腐れになっております……。
『戦国時代和歌集』2
高村様コメントありがとうございます。
>家久
やっぱりあっちの方でしたか。
有馬重純さんは初耳の方だったので、ちょっと調べてみたのですが、朝鮮出兵の時に忠恒(家久)に随行し、数々の武功を立てた人のようです。元和四年閏三月十二日死去、没年未詳。(「本藩人物誌」)
上記の記事の最後に、忠恒(家久)の挽歌6首が乗っています。
>細川幽斎
薩摩にいるのは太閤検地関連ではないかと。
>早川殿
実家に帰るという手もあったのではないかと思うのですが、敢えて茨の道を選んだように見えます。しかしお嬢様育ちだったと思われるのですが、たくましいお母ちゃんになったようですね(笑)
>神保町
古書の宝庫ですね 一度行ってみたいと思いつつ遠い世界になりつつあります(涙)
>家久
やっぱりあっちの方でしたか。
有馬重純さんは初耳の方だったので、ちょっと調べてみたのですが、朝鮮出兵の時に忠恒(家久)に随行し、数々の武功を立てた人のようです。元和四年閏三月十二日死去、没年未詳。(「本藩人物誌」)
上記の記事の最後に、忠恒(家久)の挽歌6首が乗っています。
>細川幽斎
薩摩にいるのは太閤検地関連ではないかと。
>早川殿
実家に帰るという手もあったのではないかと思うのですが、敢えて茨の道を選んだように見えます。しかしお嬢様育ちだったと思われるのですが、たくましいお母ちゃんになったようですね(笑)
>神保町
古書の宝庫ですね 一度行ってみたいと思いつつ遠い世界になりつつあります(涙)