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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
この企画、やっと最終回です。ばんざーい!…しかしネタ元になった大河は既に終わって次の大河ももう折り返し回ってたという…_| ̄|○



最終回を飾る?栄えある???文書は島津義弘が書いた物です。
では早速参る。

 (切封墨引)
黒甲州人々御中             羽兵入
                           惟新(注1)

 以上
その後は申し承らず、心外の到りに候。仍って
濃州大垣(注2)において御懇札に預かり、其の後
御状候いても、御返事申し入れ候と言えども、途中
にて故障の儀について相届かず候段、
是非に及ばず候。抑今度御弓箭(注3)の御企
の儀、拙者式(注4)に仰せ聞かされず候間、
曽て存ぜざる儀に候。就中内府様(注5)
御高恩の儀、是又忘却無く候と雖も、
 秀頼様に対し奉り、永々忠貞を
抽きんずべきの旨、霊社上巻の誓紙(注6)度々
上げ置き候。其の旨相違無きにおいては、今
度御下知に応じ出陣致すべきの旨、御奉
行衆(注7)より御墨付きを以て条々仰せつけられ
候間、 君臣の道背き難きに
ついて、力に及ばず、御人数一分に罷り出で候。
最も大坂に堪忍致し、此れ等の通り
申し上ぐべく候と雖も、御取次の仕合わせ計り難く
候条、国元より申し上ぐべしと
存じ罷り下り候。併しながら我等の儀、当分
逼塞仕り候の条、様子においては、龍伯(注8)・
少将(注9)申し上ぐべく候。聞こし召し届けられ、
然るべきの様、御取り成し希う所に候。
恐惶謹言。

 十一月四日            惟新(花押)
 黒田甲州
      人々御中
<226 島津惟新(義弘)書状>
(注1)羽兵入惟新:島津義弘のこと。「庫頭惟新」の略。つまり慶長5年11月の時点ではまだ「羽柴」姓を名乗ってたということ。
(注2)濃州大垣:美濃国大垣城。関ヶ原の合戦時、石田三成を中心とする西軍は当初ここにいた。
(注3)今度御弓箭:関ヶ原の合戦のこと
(注4)拙者式:自分のことをへりくだってこう書くのだそうな(『黒田家文書1』p.495解説)
(注5)内府様:何度も出て来たが徳川内大臣家康のこと。
(注6)霊社上巻の誓紙:熊野三山が発行していた牛王宝印を印刷した紙に書いた起請文のこと。島津家の好物かも(^^;)
(注7)御奉行衆:長束正家、増田長盛、前田玄以のこと。他の2奉行が事情で欠けて既に「奉行」じゃなくなっていたのは前回言及済み。
(注8)龍伯:島津義久のこと
(注9)少将:島津忠恒のこと

慶長5年11月4日付の島津義弘から黒田長政宛の書状です。
前回もそうですが、これもかなり言い訳臭い内容の書状ではあります(苦笑)
ざっと意訳すると
「大垣では丁寧なお手紙ありがとうございました。その後行き違いがあってこちらからの手紙が届かずごめんなさい。関ヶ原の合戦ですが、家康様の御恩は大変感じてはいたのですが、秀頼様の御恩についても神文誓紙を出していた以上、御奉行達に御墨付きを突きつけられたので、君臣の理に逆らいがたく、力及ばず、軍勢も出して今回の結果(=西軍に味方して負けた)となりました。大坂に参上してこれらのことを申し上げるべきと思っているのですが、お取り次ぎがどうなるか分からないので、国元から(書状にて)申し上げました。しかしながら自分たちは当分逼塞の身の上なので、義久とか忠恒から申し上げる様にします。お聞き届けの上、おとり成し下さいませ。」
と言う内容かと思います。

この文書も桐野作人氏ブログ「膏肓記」で言及された物と思われます。
気になるのは「大垣で(黒田長政から)書状をもらった」(濃州大垣において御懇札に預かり)というところでしょう。管見では「薩藩旧記雑録」等には該当する物は見つからず…。
そのあとの「返事を出したんだけど届かなかった」(其の後御状候いても、御返事申し入れ候と言えども、途中にて故障の儀について相届かず候)というのはホントかどうか疑わしい所です(滝汗)。義弘が西軍でノリノリ(5000人軍勢いたら勝ってたとか言ってたw)だったのは『島津義弘の賭け』等でも紹介されていて有名な所なんで…。

関係ネタ こちら



長々と引きずってきました「黒田家文書の島津さん」ですが、今回で最終回です。
中々興味深い内容が多い「黒田家文書」だったんですが、島津氏に絡んでない物は今回紹介しませんでした。これ以上手も拡げられないんでヾ(--;)
「島津家文書」等と比べると残存状況が良くないと言われる「黒田家文書」ですが、黒田家とか豊臣秀吉の天下統一過程などに興味のある方は見ておくと良い史料かと思います。

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お疲れ様でした^^
「黒田家文書の島津さん」

真似した訳じゃないけど、現在自分も
「相良家文書の肥前国さん」状態です^^;

初めは本業じゃないけどファンの薩州家関連だけ拾うつもりが、専攻してる肥前からみの文書が予想外にあってドツボ状態です。

島津家文書(大日本古文書)も図書館にあるんですが、やはり専門外なんで判らないことが多くて挫折。
趣味とはいえ多少なりとも予備知識がある相良家文書(大日本古文書家わけ5)から入ってます^^

最盛期(天文年間)の肥前有馬と相良で廻船があったとか。
有馬(最盛期)が龍造寺(一族滅亡ピンチ中)は思い通りになると相良へビッグマウスとか。
弘治三年に相良が天草派兵のために、島津(やりとりは伊集院忠朗)に軍船を用立ててもらってたとか、なかなか面白いです^-^

義弘公、本国に戻ってから出してる時点で言い訳ですよね^^;

何はともあれお疲れ様でした^^

時乃栞 URL 2015/07/20(Mon)10:03:53 編集
感謝
時乃栞様、コメントありがとうございます。
また、このえんえんずるずる企画におつきあい下さりありがとうございました(^^;)

「相良家文書」ちょっとしか読んだこと無いです…島津氏のお隣さんなのでこれも精読しないとと思いつつもう全然手が回りません(-_-;)「南藤蔓綿録」は読んだことあるんですが…。
伊集院忠朗とか登場してきますか…読みたいw

ばんない 2015/07/27(Mon)10:57:43 編集
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