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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「久邇宮朝融王」(くにのみや・あさあきらおう)という人をご存じだろうか。
詳細はwikipediaの当該データがまとまっているが
故・香淳皇后の兄と言った方が通りがいいだろう。

この本も参考になるだろう。朝融王の祖父・中川宮朝彦親王という人は写真を見てもらえば分かるが、もう見ての通りの野心家・くせ者ヾ(^^;)であり、その容貌をしっかり受け継いだ邦彦王にしても「宮中某重大事件」(近年まで薩長閥の対立とされていたが、上記の本などで、実は素行不良の久邇宮家vs官僚・政府の対立であることが明らかとなった)などで暗躍した超くせ者である。
そして、ロシア最後の皇帝・ニコライ二世が
日記でその容姿をぼろくそに書いた数少ない人物でもあるヾ(^^;)

この邦彦王が何の縁か、幕末対立した島津忠義の娘・倶子を妃に娶ることになる。その間に生まれたのが香淳皇后や表題の朝融王。朝融王は見た目の容貌は母親の血のおかげか(この当時の島津家は美形の家系である。が…後述)全然祖父・父には似ても似つかない美男子だったが、中身は遺伝したらしくヾ(^^;)、婚約破棄事件や、戦後妻に先立たれるとその婚約破棄した女性に無理矢理求婚しようとして拒絶されるなど(最もこの話はその女性の娘であるあの酒井美意子氏の本にでてくるものであり、信憑性の程は?とされている)、皇族離脱後も「さすがは久邇家」というネタを提供し続けた人物(をい)である。

ただ、経済的なセンスはかなり無かった人のようで、戦後香水事業の失敗などで零落し、失意の内に死去したそうである。

その香水が
なんと京都のかづら清老舗で売られてた(○。○)
これ
でもさ
昭和皇太后陛下の兄君・久邇朝
…もったいぶった説明の割には、思いっきり字が間違ってるんですが…。

島津家が美形一族?のあかしと言うことで
この当時の島津家当主・忠重氏(倶子妃の弟)の幼少時の写真→こちら
…で、以前検索したときにはなかった、こんな写真があったのだが こちら





( ゚д゚) ポカーン



うわー
やめてくれ
イメージ壊れる(をい)
誰かあの怪しげなヒトラー髭を止める有能な家臣はおらなかったのかヾ(^^;)

ただ、倶子妃はweb上では幸運にして?写真がなかったのでUPしないがヾ(^^;)、弟君とは余り…しかも顎が…(をいをい)
これって、島津家なりのいやが…いえ、なんでもありません(^^;)

拙別館関連ネタ こちら

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