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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
史料紹介。
※下記の引用で太字にしているのは当方での補足で、原文とは異なります。

相良家文書2−816

其後不申通候処ニ、遮而預御使書、忝存候、然者、其表、無異議候哉、此方以御同意ニ候、随而、頃自日本到来候、宇土御姉子さま御賢固之由候、可御心安候、如何さま以一人右之御礼可申入候条、不能一二候、恐々謹言

嶋津又助
七月二十日                    忠清(花押)
相良宮内太輔殿
御報
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/05/0502/0240.tif
これとこの前の相良家文書2−815の差出人に署名している「島津又助忠清」って誰やねん?
この頃生きていた「忠清」といえば、島津義弘の五男でその後早世する人がいるが、あの人は「久四郎忠清」だし。…まさか、この人の父親である「島津備前守忠清」と同一人物か?
あと文中に出てくる「宇土御姉」も気になります。”島津又助忠清”=島津備後守忠清となると、この「宇土御姉」は天正末年の「天草国人一揆」で敗北後、小西行長配下に組み込まれた志岐親重の妻(島津義虎の長女)の可能性が出てきますが…。でも何故か宛先が相良宮内大輔(=相良頼房)…。他人様にあげる手紙で自分の姉を「御姉」と敬称で呼ぶかという疑問もある、が、頼房の姉妹に小西行長関係者に嫁いだ人は寡聞にして知らないし、うーんうーん。

ちなみに時代が後の人になるが、非業の死を遂げた島津久信・久章親子の直系子孫(2代目新城島津家当主)も「島津又助忠清」を名乗ってますね…。上の人とこの人の間には何か因縁があるのだろうか(謎)。

順番が前後するが
相良家文書2−814「島津林雪書状」

先度者、以一人申入候之処、御懇報、畏存候、然者、其刻御蒙気之由承、無御心元存候之条、為可承、使之者雖申付候、昨今中より御陣替由申来候間、先々以便書如此候、定而以御快然、可為御出馬候哉、御軍労察存候、目出早々御帰陣可被申候、仍又介も、先日如筈、人衆召烈着陣可仕候、 主計様御前向以下、被添御心可預事頼存候、貴殿一入頼存計候、新儀等可承様子候者、則御注進所希候、猶期後音之時候、恐々謹言
 
             嶋又入
六月八日         林雪(花押)
相良宮内様
御陣所
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/850/8500/05/0502/0238.tif
「林雪」って誰?文章の中には2−815、816の文書を書いたのと同一人物と思われる「又介」が出てくるが…「御陣替」なる言葉が出てくるところや「主計様」(おそらく加藤清正)が出てくるところを見ると朝鮮出兵中とおもわれ、まさかと思うがあの最後の薩州家当主・島津忠辰か?でも林雪って出家名のようにも思えるんだが…ワケワカラン



ついでに見つけた相良家文書2−813「島津忠豊(=島津豊久)」書状は、目的が分かりやすい。おばあさんの実家のために、相良姓の名乗りを許可してもらうようお願いしたんだね。関ヶ原の敵中突破ばかり取り上げられるが、こう言うところとか豊久は細々と働いています。

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