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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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更新が滞り、大変失礼しております<(_ _)>

なかなか終わらない九州御動座(九州征伐)遂に3回目です。
しかし、粘っていた?!島津氏も遂に秀吉本人が遠征してきたことで窮地に陥ります…
今回紹介する文書ではその辺の様子がうかがえるかと。

ではまいる。
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去んぬる九日中納言かたへの書状、今日十六日、芸州開田において到来、披見を加え候。
(8項目中略)
一、敵引き退かざる様に懸け留むるにおいては、急度飛脚を以て注進すべく候。一騎掛けに御座候いて御覧ぜられ、ひとりころびをいたし候様に仰せつけらるべく候間、其の意を成し注進すべく候。聊かも油断あるべからず候なり。
 三月十六日         (朱印)
       黒田勘解由とのへ
<81豊臣秀吉朱印状(6巻2号)>
天正15年3月16日付の書状です。芸州開田(現広島県安南郡海田町)で見たと書いてあるところから見て、既に秀吉は九州へ向けて移動中であることが分かります。
一騎に省略した8項目では細々と武将の配置について注意書きを記しています。(豊臣秀勝を小倉に在城させること、毛利/小早川/吉川を豊後に配置すること、蜂須賀家政、脇坂安治、加藤嘉明(当時茂勝)も適当に陣取りすること、など)。
以前紹介した文書でもよく出てくるのですが、島津軍を撤退させないようにしたいのが秀吉作戦のキモのようです。それにしても相変わらず「ひとりころび(自滅)」とか書くの好きですね>秀吉
去んぬる十二日の書状、今日(十八)芸州廿日市にて到来、披見候。
(3項省略)
一、輝元・隆景・元長・備前の少将(注1)をはじめ引きつけ、五丁十町の間に野陣を張り候えば、先に人数少なく、又は少々落ち度これあるも、ついには嶋津一類首を刎ぬべく候、五里十里宛て二千三千の躰たらくに寄り合い、人数召し連れ罷り越す儀、関白殿御存分には少しも御合点無く候。一人高名は成り申すまじく候か。自然先手の者、越度を取るにおいては、仙石権兵衛身の上は相違候間敷き様に候事。
(8項省略)
 三月十八日     (朱印)
       黒田勘解由とのへ
<82豊臣秀吉朱印状(6巻3号)>
(注1)備前の少将:宇喜多秀家
天正15年3月18日付の書状です。芸州廿日市(現広島県廿日市市)で見たと書いてあります。2日間で約20km移動したということになりましょうか。これってやっぱり大軍勢と言うことを考慮したら結構なハイスピードなんだろうか?相変わらず「嶋津一類首を刎ぬべく」とか勇ましいことを書いてるのはともかくトシテ、この文書の注目点は「自然先手の者、越度を取るにおいては、仙石権兵衛身の上は相違候間敷き様に候事(万一先手の者が過失を犯した場合は、仙石秀久のような身の上(=改易)になるであろう)と言う一文。



今回は短文ですがここまで。
今後はもうちょっと更新頻度を上げたいです(涙)



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