忍者ブログ
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
こちらのサイトで、拙ブログを紹介くださりまことにありがとうございます。…思い切り私信(苦笑)
心配されていた、この記事で紹介した「久保此の猫を寵愛し」の”寵愛”には、たぶん深い意味はないと思われます。明治時代の文献だからたぶん…。紹介されていた手の「寵愛」が好きでかつ島津家に興味のある方は「庄内陣記」(戦国史料叢書〈第2期 第6〉島津史料集 (1966年)所収)を読むと萌え死にますよ!(なんつーブックレビューだ…)
※ちなみに「庄内陣記」は江戸時代中期に鹿児島藩お墨付きで作られた軍記物語です。って、その内容でお墨付きか…。フォローをするつもりがどんどん深みにはまる…。



さて本題。

近代デジタルライブラリー(拙ブログのこの記事で紹介)の中に『日向纂記』という史料がある。
名前の通り、日向国の歴史の本なのだが、主に飫肥藩・伊東氏の歴史を綴った物で、幕末の慶応3年に平部きょう南(※「きょう」は「山」に「喬」)が『日向記』等を元に書いたのだが、『日向記』には出てこないびみょーな話も書かれていて興味深い本である。
※参考 こちら


この『日向纂記』に関ヶ原の合戦直前に島津豊久が伊東祐兵を見舞いに行くという興味深い記事が載っている。確か『日向記』では書かれてなかったと思う(『日向纂記』では『日向記』を参照にしたと書いてあるが…)し、島津家側の史料にも一切残っていない。
ではばんない版ざっくり口語訳

島津中務大輔(=島津豊久)が報恩公(=伊東祐兵)の病気見舞いに来た話

慶長5年7月20日より大坂方(=石田三成側)の軍勢が伏見城を攻めはじめ、当家(=伊東家)にも軍勢をだせという命令が頻繁に来るようになったが、報恩公は同月14日より具合が悪く治療にいそしまれたが風毒の病(脚気、関節・運動障害を指すらしい 参考こちらとなり日に日に重くなり、出陣は難しい状態となったことを伝えられた。このため、「伊東家は関東勢(=徳川側)なのではないか?」という疑いを大坂方より受けることとなった。

ある日、県領主(=現在の宮崎県延岡)高橋右近大夫(高橋元種)と財部領主(=現在の宮崎県高鍋)秋月九郎(秋月種長)と佐土原領主島津中務大輔島津豊久の3名が島津兵庫頭(島津義弘)の館で会合し、伊東豊後守はかねての約束を破り関東方となり仮病を使い、久しく出仕もしていない、屋敷に行って討ち果たすべきか、あるいはいかように策略をたてて招き刺殺すべきかと、内々の話し合いが行われていたところに、中務が「そのことは(伊東祐兵は)中でも懇意にしている親友なので、今から伊東邸にいそいで行き、是非直にあって様子をうかがい、本当に病気で裏切っている様子がないなら言い分は正しい、詐病であることを確認できたらここに連れてこよう、もし抵抗されたら刺殺するのはたやすいことである。しばらくここでお待ち下さい。」と行って(豊久は)伊東家の館にやってきた。

が、公(伊東祐兵)のご重体の様子を見て思わず落涙し、かつてのいろいろなことを親しく話されて、「私は関ヶ原で討ち死にすると覚悟しております。あなた様のご容体も余りよろしくないようです。この世でお会いするのは今日限りだと思います。なので、後の世まで子孫達があなた様と私とのようにあるように変わらぬ兄弟のちぎりを結びたいものです。如何思われますか?」と話した。公はしばらく涙を流されむせこまれ、薬などを飲まれてようやく気力を補われ、この時12歳になる嫡男左京亮(後の伊東祐慶)を呼ばれて丁子土器打ちアワビを支度し式礼を行った。さて、天下争乱になったときは愚息左京亮を賢息又二郎殿(※豊久には子供がいないため誰かと間違っている可能性大)と同様にご不便をおかけしますがよろしくお願いしますと、次に国元の事は遠慮なくお決め下さい、と。時に中務は懐中から誓詞を一通だし、これこれのように署名なさいまし、と話した。公はそれを一通り見て「子々孫々互いに仲違いせず兄弟のよしみを結びましょう」とお書きになられた。公は「異議には及ばず」と笑われて血判を押され、中務はそれを押し頂き「今生のお別れですな」とお互いに涙を流して立ち去った。

中務はそれより直接兵庫頭の館に向かい、「豊後守には二心はないご様子です。また、顔に死相が既に現れ、苦しそうなご容体でした」と語ったところ、他の3候も涙してその後は「伊東家が関東方というのは虚報だろう」と言うところに落ち着いた。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPA130&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=18&tpl_hit_num=21&tpl_toc_word=+%C5%E7%C4%C5%B5%C1%B5%D7&tpl_jp_num=40010151&tpl_vol_num=00004&JP_NUM=40010151&VOL_NUM=00004&KOMA=47&tpl_search_kind=2&tpl_keyword=%C5%E7%C4%C5%B5%C1%B5%D7&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=

面白い話ではあるが2,3点問題が。
1)子供のいないはずの豊久に又二郎という息子がいることになっていること 誰よ又二郎って豊久いつの間に浮気してたの ヾ(--;)
2)関ヶ原が決戦場になるというのは事前に分かっていなかったはずなのに、この話では既に豊久は関ヶ原の激戦で死ぬことになっている
など。
ただ、島津義弘の館に秋月種長・高橋元種兄弟、島津豊久が集まっているというのは興味深い記述です。ちなみに秋月ブラザーズは関ヶ原では大垣城籠城組で、土壇場で裏切ったために領土安堵されました。島津家に合力させられてたらおそらく死亡確実だったでしょう。

ちなみに、この前の章で書かれているように、既に伊東は徳川方に着いており、更に、関ヶ原の合戦時と一つにして、豊久の佐土原領に攻め込み大混乱に陥れています(最も佐土原防衛側の抵抗が激しくて落城に至らなかったようです)。
そいうことなどを考えあわすと、このお話は伊東家側の言い訳捏造臭いんですが…。

しかし、この話の中に出てくる豊久はいい人、というか単なるアホの子みたいで何か…いやなんでもありません。

拍手[0回]

PR
Comment
name 
title 
color 
mail 
URL
comment 
pass    Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
無題
歴史っておもしろいですね。それにしても伊東氏、佐土原城すら落とせなかったとは。トホホ・・・
歴史に「もし」は無いのですが、伊東氏が佐土原城を落城させていれば、日向40万石級の大名になっていたかもですね。そしたら今頃は、鹿児島県と宮崎県の格差はそう違いはなかったでしょうに。・・・
そしたら今の東国原知事の登場も無かったでしょうね。
私も歴史好き 2009/04/19(Sun)01:17:10 編集
無題
コメントありがとうございます。

この時の佐土原城攻撃は、伊東氏の主力じゃなくて在国の部隊のみですので、こういう結果になっても仕方ないと思われます。このあと、高橋元種の宮崎城も攻撃していますが、こちらは落城させてます。

が、この記事で書いておりますように、高橋元種はすでに西軍を裏切って東軍に着いていました。このため、戦後に伊東氏は高橋氏や徳川家康に対する言い訳などフォローに追われたようで、最後には佐土原城+宮崎城を攻撃した家老・稲津掃部を謀反の疑いあり(たぶん濡れ衣)として殺しています。

以上の経過からの憶測になりますが、佐土原城を落城させたところで、関ヶ原の合戦が思いもかけないスピード終了となったことで、「伊東日向40万石」回復はやはり夢のまた夢だったんじゃなかったかな、と思います。
ちなみに伊東家側の史料『日向記』によりますと、伊東氏に「佐土原とか宮崎とか攻撃したらいいんじゃない?」と煽ったのは、あの黒田如水です…。
ばんない 2009/04/19(Sun)12:04:50 編集
無題
こんにちは、久山と申します
ご挨拶が後手になってしまって申し訳ないのですが;先日は当サイトをご紹介して頂きありがとうござました!
ばんない様のブログや別館サイト様で日々勉強させて貰っている身なので、
ブログで取り上げて頂いた時は恐縮の余りヒッとなりました
自分は未だ勉強中なので失言も多いと思いますが(…)温かい目で見ていただけると幸いです…

このたびの記事も興味深く読ませて頂きました。感激屋(?)な豊久が可愛いですね!
小説の話で恐縮なのですが;滝口康彦という方の著作に「関ヶ原の風」という本があって、
マイナーな事に(笑)伊東家の関ヶ原を主題とした作品だったのですが
豊久が病床の伊東祐兵を偵察に来るシーンがありました。
元ネタが気になっていたのですが、「日向纂記」を下敷きにしていたのですね…勉強になりました。

あと今回ご紹介されていた「庄内陣記」も面白そうですね!探して読んでみようと思いますー
あっいや深い意味のアレが別に好きとかそういうのではないのですが(…)
島津家の関ヶ原の前後(庄内の乱や関ヶ原の戦後処理)が最近特に気になっているので
「鹿児島藩お墨付き」というのがちょっと気になりますが、純粋に勉強の気持ちで読もうかと。はい。(言えば言うほど…)


それでは長々と乱文失礼しました!
久山 URL 2009/04/19(Sun)15:16:56 編集
無題
はじめまして。コメントありがとうございます。また拙別館へのリンク+当ブログのご紹介ありがとうございます。おかげさまで辺境のHPにもようやく日の光が射してきたようです(爆)

漫画のほうは、某掲示板まとめサイトで紹介されているのを見て拝見させていただくようになりました。「恐怖の大王」と例えられつつ開口一番「欲しいのは託児所」と嘆く情けないところが妙に真実味のある島津義久は私もファンですヾ(^^;)。こちらも久山様のサイトから勉強させていただくことが多いです。こちらこそ今後ともよろしくお願い申し上げます<(_ _)>
ばんない 2009/04/20(Mon)21:39:59 編集
無題
過去記事に失礼します^^

いま拙ブログで飫肥藩初代藩主編を連載してまして、
このお見舞いネタを盛り込もうと思ってます。

つきましては、こちらの記事を参照(出典元意訳)としてリンクを貼らせて頂きますので宜しくお願いします^-^

国人オタなんで高橋元種・秋月種長・島津豊久の組み合わせに萌えます^^
「朝鮮の役」では、上記3人の他に相良頼房が同じ組み(森壱岐守隊・釜山海勤務)でして、ドリームチームと(勝手に)呼んでます(笑
時乃栞 2012/09/28(Fri)23:52:17 編集
ご報告ありがとうございます
時乃栞様、わざわざのありがとうございます。

確かに、日向組はセットで扱われていることが多いですね。朝鮮出兵の時もセットだったような。

関ヶ原の合戦の時は、このチームから豊久は外れてしまうんですよね-。残された秋月+高橋は実は兄弟なので、石田三成は陣容を組むときに血縁も重視したのかなあ、とか考えてみたり。
ばんない 2012/10/02(Tue)00:02:13 編集
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
06 2017/07 08
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
[07/25 ばんない]
[07/07 たべのむらじ]
[05/21 書き人知らず]
[04/12 書き人知らず]
[03/09 ばんない]
ブログ内検索
プロフィール
HN:
ばんない
性別:
非公開
自己紹介:
初めての方はこちらの説明をお読み下さい。リンク・引用の注意もあります。

プロフ詳細はこの辺とかこの辺とか
カウンター
バーコード
アクセス解析
P R
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]