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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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今回紹介させていただく資料は本城家関係の系図・文書が紹介されています。
「本城家???何それ?」
と思われる方が多いでしょうが、実は本城氏は島津(中務大輔)家久の末裔に当たる一族です。
戦国最強の釣り師ヾ(^^;)として知られる島津家久の末裔としては永吉島津家が有名ですが、途中で幾度か養子が入り、島津家久の血統ではなくなっています。本城家は島津豊久の弟・忠直(忠仍)の子孫に当たりますが、どうも家久・豊久の後を嗣がせてもらえなかったようなのです…というか今回の史料集を見ると、追い出されてしまったという方が近いようだ(○。○)
今回紹介させてもらう『伊佐市郷土史誌史料集一』では、その辺の裏事情が伺える史料が多く所収されています。

以前拙HPで「本城家文書」という物が存在するらしいと言う話は触れたことがあるのですが、当の『牧園町郷土誌』では肝心の文書自体が引用されておらず、鹿児島県立図書館の蔵書を検索してもそれらしい物が無くて、そのまま調査を中断していた経緯があります。
この『伊佐市郷土史誌史料集一』はその空白を埋める物であり、安土桃山時代~江戸時代初期の島津家分家の盛衰の経緯を詳しく知ることが出来る貴重な史料群と言えましょう。

おおまかな内容は以下の通り
・本城家文書:平成25年に本城家の末裔から寄贈された史料。系図(本城家分家)と由緒書(文書含む)から成り立っている。
・本城家家譜:市来四郎編「石室秘稿」に収録された本城家本家の家系図。
・明治14年12月菱刈郡里村針持村戸長役場文書

なお『伊佐市郷土史誌史料集一』は国立国会図書館(東京本館)には所蔵されていますが、鹿児島県立図書館では所蔵されてない模様_(。_゜)/
また一般の書店では販売されていません。伊佐市市立図書館に電話orFAXで購入問い合わせする必要があります。伊佐市公式HPでは書籍の紹介がありませんが(^^;)確かに頒布されてますのでご安心を
 伊佐市市立大口図書館 ※菱刈図書館では受け付けてないので注意
 電話 (0995)22-0417
 FAX (0995)22-9420 購入申込書はこちら(PDF)
 お値段は¥1000 別途着払いの送料がかかります(¥700ぐらいだったかな)



この本については、編纂副委員長を務められた春山直人氏から教えていただきました。春山氏からは拙HP+ブログにも以前より色々ご助言を頂いております。ありがとうございました<(_ _)>
拙HPもこの史料集見て手直ししなければいけないところが色々(^^;)

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島津藤四郎
史料集をご紹介頂きありがとうございます。
ところで上記ばんない様HPリンクを見て気が付いた点がありましたので、ご報告します。
ご紹介頂いた『史料集一』P48の文書解説では以下の様な一節があります。

 ○『日向纂記』に登場する「島津藤四郎」なる人物は「佐土原藩譜 巻之三」によれば「鹿弟島津藤四郎 一ニ源七郎忠直ニ作ル」とあり、忠直を指すとしている。

 上記のように述べましたが、ばんない様の記事を見て島津忠栄(薩州家の方)について『諸氏系譜』『本藩人物誌』を確認したところ、忠栄の通名に「藤四郎」と有ることに気づきました。佐土原戦で登場するこの人物については藤四郎忠栄と源七郎忠直の2説が伝承されていたのかもしれません。今後の参考のためにこの場をお借りして補足しておこうと思います。
春山 2016/05/18(Wed)19:23:06 編集
藤四郎
春山様、コメントありがとうございます。

島津忠栄の字については私もすっかり忘れてました(汗)春山様のコメントで改めて気が付きました。こちらこそありがとうございます。

あと、拙本館のほうも長いこと更新してないので手入れしないと(恥)

ところで、島津忠栄も島津家久長女との絡みで、興味深いというか、胡散臭いというか、謎の人物ですね…。
ばんない 2016/05/19(Thu)15:35:12 編集
島津家久長女の伝説
家久長女については謎が多い気もしますが、史料集には未掲載の参考文献を一応紹介しておきます(もっとも忠直をはじめ、この一族は謎だらけですが)。
島津家久長女について墓のある牧園の伝説は以下の通りです。

○『牧園郷土史』(平山吉蔵 1930年)より抜粋

「島津家久の御娘の墓」
宿窪田なる瀬戸口龍ヶ迫にあり。墓碑に左の如く記せり。
(*筆者註 文政6年誌石の碑文ですが銘文は省略します)とあり。
傳説に曰く、同氏一行は敵に追はれ忍びて踊郷瀬戸口なる龍ヶ迫に來り一泊す。
翌早朝鶏鳴を待ちて發足すべくまどろみしに如何なる運の盡きにやありけん、
其夜に限り、鶏鳴かず、よりて追手の為に捕はれの身となりしぞ。
此傳説によりこの附近は爾来鶏を飼はざるを習はしとせり、といふ。

上記の伝説から連想されるのがやはり「かやかべ」信仰(鶏肉を食べない)との関連です(墓のある牧園地区には長らく伝承されております)。
また近所の人の話によると同墓には、以前はお参りに来る人が絶えなかったといいます。バスに乗って遠方より来る団体もあったとも聞きましたので、やはり殉教者としての側面があったのかもしれませんが、よく判りません(つづく)。
春山 2016/05/30(Mon)19:26:37 編集
家久の長女・豊久の姉
春山様、コメントありがとうございます。

同じ様な話は『牧園町郷土誌』で紹介されていたように記憶してます。おそらく春山様ご紹介の本を参照したのかと思いますが、copyがすぐに出てこない(汗)
ちゃんと確認出来次第、改めて書こうかと考えています。

しかし、その墓にバスで巡礼まで来ていたとは驚きます。ちょっと昔まではある意味のスピリチュアルスポットだったということでしょうか。
ばんない 2016/06/03(Fri)14:54:56 編集
東郷重商(市左衛門)の墓
ばんない様大変ご無沙汰しております。気がつけば前回「つづく」と書いて以来二年半ぶりです。
ところで『史料集一』本城家文書「文書解説」p48でも書きましたが、同地には島津家久長女・島津忠直の他にもう一人忠直の孫にあたる東郷重商が、忠直の墓の側にひっそりと眠っておられます(委しくは史料集の上記註をご参照下さい)。
最近では『史料集一』編集時は不明だった点が幾つか判明するなど、今更ながら自信の浅学を悔やんでいる次第です(組版もまずいですし・・・)。
春山 2018/11/09(Fri)20:02:48 編集
コメント遅くなりました
春山様、お久しぶりです。
又、コメントに対するresが大変遅くなり失礼致しました。

追加情報誠にありがとうございます<(_ _)>
島津関連の記事もいくつか書きかけで途中で止まっている状態で、何とかしなければと思っているのですが、手が回らない状況に追い込まれています。
こんな状況の拙ブログですが、来年もいろいろとご助言下されば幸いです。宜しくお願い致します<(_ _)>
ばんない 2018/12/30(Sun)16:50:46 編集
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