拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
表題の番組なんだが、最近の内容見てると「英雄たちの選択」じゃなくて「偉人たちの選択」に変更した方がいいと思ってるの私だけ?(^^;)
気を取り直して本題。
再放送も既に終わってしまったんですが、4/7放送の「女たちの江戸城無血開城」に、おそらく史上初公開?(TVでは本当に初めて放送されたようだ)の「篤姫と和宮のきもの」が登場していた。NHK番組公式HPにも載っている。向かって左の緑の打掛が篤姫のもので、右の白のきものが和宮の物とのこと。写真で見る限りでは篤姫のは合物~冬物で、和宮のは麻製の盛夏の帷子と推察される。
番組では柄行きから単純に篤姫と和宮の性格を類推していたが、実は江戸後期以降になると武家や公家の場合はきものの柄というのはかなり制約があって(特に武家)、柄行きに着用者本人の性格まで反映されていることの方が珍しいかと。ただ、きものに詳しくない方でも2つのきものの柄行きがかなり違うのは感じてもらえるかと思う。篤姫のは今でも留袖に多く見られる裾模様。和宮のは草木が裾から肩辺りまで延びた模様で、これは江戸後期の公家のきものに典型的な柄行きである。また独特の特徴として、鳳凰の刺繍が肩辺りに縫い取られているが、これは天皇家の姫や妃など限定的に許された高貴な物で、いかにも「宮様のきもの」というアピールをしている。
まあ、通説で言われている「武家代表篤姫vs朝廷代表和宮」という対立の構図ですが、着ていた物からはしっかり裏付けられたわけです(^^;)
問題なのは番組後半での再現イラストで出てきた、着用予想(?)図。
左の篤姫は、打掛なんで問題ないんだが…
右の和宮のは帷子(真夏のきもの)なので、上から羽織っているというのはあり得ないのですな。
実際に着用したきものを再現絵でも使うというアイデアは良かったけど、後世の人(=私ら)が見たら「それが正しい」と思いっきり誤解するので、ちょっと考慮して欲しかったです…。
なお篤姫と和宮が新政府軍に次々と嘆願書を送ったというのは冬~春(正月~3月)なんで(^^;)麻の着物着ていること自体があり得ないのでした…。
気を取り直して本題。
再放送も既に終わってしまったんですが、4/7放送の「女たちの江戸城無血開城」に、おそらく史上初公開?(TVでは本当に初めて放送されたようだ)の「篤姫と和宮のきもの」が登場していた。NHK番組公式HPにも載っている。向かって左の緑の打掛が篤姫のもので、右の白のきものが和宮の物とのこと。写真で見る限りでは篤姫のは合物~冬物で、和宮のは麻製の盛夏の帷子と推察される。
番組では柄行きから単純に篤姫と和宮の性格を類推していたが、実は江戸後期以降になると武家や公家の場合はきものの柄というのはかなり制約があって(特に武家)、柄行きに着用者本人の性格まで反映されていることの方が珍しいかと。ただ、きものに詳しくない方でも2つのきものの柄行きがかなり違うのは感じてもらえるかと思う。篤姫のは今でも留袖に多く見られる裾模様。和宮のは草木が裾から肩辺りまで延びた模様で、これは江戸後期の公家のきものに典型的な柄行きである。また独特の特徴として、鳳凰の刺繍が肩辺りに縫い取られているが、これは天皇家の姫や妃など限定的に許された高貴な物で、いかにも「宮様のきもの」というアピールをしている。
まあ、通説で言われている「武家代表篤姫vs朝廷代表和宮」という対立の構図ですが、着ていた物からはしっかり裏付けられたわけです(^^;)
問題なのは番組後半での再現イラストで出てきた、着用予想(?)図。
左の篤姫は、打掛なんで問題ないんだが…
右の和宮のは帷子(真夏のきもの)なので、上から羽織っているというのはあり得ないのですな。
実際に着用したきものを再現絵でも使うというアイデアは良かったけど、後世の人(=私ら)が見たら「それが正しい」と思いっきり誤解するので、ちょっと考慮して欲しかったです…。
なお篤姫と和宮が新政府軍に次々と嘆願書を送ったというのは冬~春(正月~3月)なんで(^^;)麻の着物着ていること自体があり得ないのでした…。
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