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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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ネットで検索していて「修身事蹟」なる本を見つけた。保田安政という人物の著で、巻末にはあの貝原益軒が後書きを書いている。貝原益軒はともかくとして、「保田安政」という人物はネットで検索した限りではよく分からない人物。他にも「商人百夜草」なる本の著者でもあるようで、教訓物とかハウツー物を得意とした人物と見受けられます。
内容ですが、ちらちら見る限りではいわゆる「女大学」のジャンルに属する読み物のようです。何しろサブタイトルが「婦女必読」だし(^^;)

この本に1つだけだが、島津光久後室・陽和院のネタが出ている。
2chのまとめブログに出てくるネタはどうもこれを元にしているようです。
興味深い内容なのでご紹介 旧字体は適宜変えています。原文を見たい方は後掲のリンク先を参照プリーズ(漢文じゃないので素人でも読めるかと)
島津光久の夫人 陽和院

薩摩中将島津光久の夫人は、怜悧にして、姿色衆に優れ、且和歌に妙なり。陽和院と号す。初め、承応帝に仕えて匂当の内侍となる、光久嘗てこれを見て娶らんと望みしに内侍のいう『嫡夫人の礼を以て迎えられなば行くべし』と光久因て金一万両を贈り礼を厚くして迎えけり。
夫人一日侍女を誡めて曰く
『若き女子の花見遊山、さては寺詣などと云いて風流に出立は、皆、人に見られんとてゆくなり、女子の行儀にはよもあらじ、内裏の昔も今も、皆、女御達の礼として、檜扇を打翳し、姿を人に見せざるを常となすものを、今の若き女子は、綺羅を競いて形をつくり、面をあらわに人に見するは誠に恥ずかしきことならずや、世に、男は心美しく、女は姿美しき、ものとか云えど、如何に姿の美しとて、其の心美しからざらんは、こを誠の美人とは云われまじ、さるに其粧ひのみに心を入れて、姿の美しきを人に見するも、心あるものは其心醜きを笑いなん、実に口惜しき事ならずや、されば花見んとならば人無きところの花を見よ、寺詣せんとならば本堂より奥に入るべからず』
『』でくくられてる文は「はぁ~そうですか~」という内容ですが、何しろ先述したように本の目的が目的なのでともかくとしてヾ(^^;)

個人的に気になるのが最初の内容
・承応帝:承応は1652~1654年、承応改元時の天皇は後光明天皇なので、承応帝=後光明天皇のこと。でも後光明天皇は承応3年にぽっくり亡くなってしまうのですが…
・匂当の内侍:匂当内侍(こうとうないし)は女官の役職名の一つで別名「長橋局」。ただしこれは非公式名で、正式には掌侍(しょうじ)の筆頭を指す。一番有名なのは新田義貞の関係者かな。朝廷の財政を管理したので裕福な人が多かったとか。
このうち「承応帝」こと後光明天皇の女官だったのは正しいのですが、陽和院は”弁内侍”といわれており(義兄の平松時量が書いた日記かなんかにそう書いてあった(うろ覚え))匂当内侍ではないです。
もう一つ気になるのは、島津光久が女官時代の陽和院を見て「嫁にゲットしたい」と言ったと言うこと。いつ京都の御所に行く機会があったんだよみっちーヾ(^^;)。もっと気になるのはそれに対して陽和院が「正妻の礼を取ってくれたら行くけど」と返事したということ。文を読むと「正妻の礼=支度金1万両」とも読めるが、実際の陽和院が結婚に至るまでの経過を見ると、それだけではないような気が…続く_(。_゜)/



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