拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「上井覚兼日記」の天正13年卯月25日条に、タイトルに書いたとおり島津久保と忠恒の元服の様子が記録されている
…
といっても、覚兼は元服式には同席せず、又聞きのようだが_(。_゜)/
にしても、久保と忠恒の元服の様子を知る、かなり早い史料であることは間違いありません。
注2:町田久倍
注3:ご存じ島津義弘
注4:島津忠長 官名の「図書頭」の所属”図書寮”を中国風に読むとこうなる
注5:町田久倍
注6:?
注7:喜入季久
注8:有川雅真 伊勢貞昌のお父さん
注9:上井秀秋
注10:後の文章読めばわかるのだが、島津久保のことである
注11:島津中務大輔家久 「中書」は官名“中務大輔”の中国風読み
注12:島津家久(忠恒)
私の感想など
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といっても、覚兼は元服式には同席せず、又聞きのようだが_(。_゜)/
にしても、久保と忠恒の元服の様子を知る、かなり早い史料であることは間違いありません。
注1:島津義久一廿五日、 早旦天神へ別而読経等申候、従夫出仕申候、御月次御連歌也、 太守様(注1)者御虫気とて御出座なく候、然者、隙入事候ハす候侭、軈而罷帰候、町田羽州(注2)礼ニ御座候、閑談共也、先日 武庫様(注3)へ一ヶ条御承之使麟台(注4)・町羽(注5)・伊伯(注6)被成候、 武庫様も人してきこしめされ候、其使、喜入摂州(注7)・有川雅楽助(注8)・上井次郎左衛門尉(注9)にて候つる由物語候、又 武庫様御息(注10)御元服之様子、理髪之役中書公(注11)被成之由也、御名又一郎殿と申由也、御次男(注12)御元服者、 武庫様御仮屋へ 太守様御光儀之時と聞得候、理髪者町羽被成候由也、御名又八郎殿と申由也、又一郎殿御進上式之御引物、御酌之時刀御進上之由也、 太守様より御腰物御給被成由也、又八郎殿鎧甲進上被成、是も 御腰物御賜之由也、御進物酒肴等之事ハ不及書戴候、大方物語如此候、此日も、当初衆各被来閑談共也、御酒なと参会候、
(「薩藩旧記雑録」後編2-18)
注2:町田久倍
注3:ご存じ島津義弘
注4:島津忠長 官名の「図書頭」の所属”図書寮”を中国風に読むとこうなる
注5:町田久倍
注6:?
注7:喜入季久
注8:有川雅真 伊勢貞昌のお父さん
注9:上井秀秋
注10:後の文章読めばわかるのだが、島津久保のことである
注11:島津中務大輔家久 「中書」は官名“中務大輔”の中国風読み
注12:島津家久(忠恒)
私の感想など