かなり膨大な量のため、義久の句の前後を抜粋して引用します。
賀雲:不明「本田助之丞蔵」
天正拾年九月廿二日
第六
賦何木連歌
(5首略)
真砂の上にあそふをし鴨 珠長
冬枯の芦辺にすめる水晴て 義久朝臣
月影さむみ暮わたるなり 篤和
(14首略)
風立はうす霞とや成ぬらん 篤和
ひとつにさかくせゝのしら浪 義久朝臣
ともすれはおりゐる鷺の打むれて 久正
(16首略)
ふねはむかいにくるゝ河岸 可丹
答ぬをとふに心やつくすらん 義久朝臣
あまりなるまてはちかハす中 芳渓
(8首略)
空の戸の明はなるれは雲引て 珠長
出るより日のかけのさやけさ 義久朝臣
武蔵野や草の葉ことのうら枯に 久隅
(13首略)
萩すゝき萌出るよりむすほゝれ 珠長
花さかぬ間の野へのいさなひ 義久朝臣
露にぬれうくいすとの打はふき 玄佐
(6首略)
荒れしところはあるしなる月 其阿
我身のミもとの秋にし帰りきて 義久朝臣
露のちきりそむすひ捨たる 珠長
(2首略)
風かハりまほにかたほに興津船 玄佐
あまつほしともえこそわかれぬ 義久朝臣
里\/の真柴のけふりなひきあひ 宗運
(11首略)
明石かた浦のみるめのたゝならて 珠長
よるへありてや舟はこむらむ 義久朝臣
かけ一木岩ほにかすむ花の色 篤和
(1首略)
賀雲三 智善五 玄佐七 珠長十 久隅八
其阿八 常栄六 可丹五 芳渓十 友治七
義久朝臣八句 宗運七 篤和五 陽暹一
忠棟五 久正五
(「薩藩旧記雑録」後編1-1293)
智善:不明
玄佐:樺山善久
珠長:高城珠長
久隅:川上久隅
其阿:不明
常栄:不明
可丹:不明
芳渓:不明
友治:不明
義久朝臣:島津義久。今回の主人公(爆)
宗運:不明 前にも指摘したけれど、甲斐宗運じゃないと思う
篤和:税所篤和
陽暹:不明
忠棟:伊集院忠棟
久正:喜入久正
名前の分かっている人だけで言うと、この当時の義久にかなり近い人で集まった連歌会のようです。