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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回のお話はこちら



実はこの古いネタを掘り起こすきっかけになったのが、倉本一宏氏の『藤原氏の研究』『藤原氏-権力中枢の一族』を読んだことなんですが、『藤原氏の研究』のある論考が目に留まりました。第2章第4節の「宣命に見る藤原氏」というものです。
先ず、宣命とはなんぞや?と言う事で、こちらの説明を御覧下さい。
天皇が宣(の)りたまう大命(おおみこと、命令)の意で、本来は口頭で宣布され、それを宣命体で書記した。奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E5%91%BD
ほか「宣命」に冠する説明はこちら参照
ともかく、宣命というものがかなり特別な物であったことは分かるかと思います。
倉本氏によると、『続日本紀』の宣命を検討したところ全62件の内10件で藤原氏の先祖の功業について言及されているとのこと、そしてこのように王権(皇室)との密着をアピールしたことで、藤原氏から律令に縛られない立場で権力をふるう人物をだす土壌となったというのです。

さて、これらの宣命を読んで、奇妙なことに気が付きました。
全10件の内、5件が永手がらみなのです。

以下長文になるので、興味のある方は「つづきはこちら」をクリック。




参考のために、倉本氏がピックアップした宣命の要点だけ箇条書きしてみる。
・宣命第2詔 藤原不比等に食封を賜う宣命(慶雲4年(705年)4月15日)
・宣命第7詔 藤原光明子を皇后に立てる宣命(天平元(729年)8月24日)
・宣命第13詔 陸奥国に黄金出でたる時下し給へる宣命(天平勝宝元年(749年)4月1日)
・宣命第25詔 御父母の命を追称した給へる宣命(天平宝字3年(759年)6月16日)
・宣命第26詔 藤原仲麻呂を大師に任じ給へる宣命(天平宝字4年(760年)1月4日)
・宣命第39詔 大嘗会に御酒を下し給ふ宣命(天平神護元年(765年)11月24日)
・宣命第40詔 藤原永手に右大臣を授け給ふ宣命(天平神護2年(766年)1月8日)
・宣命第41詔 舎利を法華寺に請ぜし時下し給へる宣命(天平神護2年10月2日)
・宣命第51詔 藤原永手を弔賻給ふ宣命(宝亀2年(771年)2月22日)
・宣命第52詔 永手に太政大臣を贈り給ふ宣命(宝亀2年2月22日)
上記の内、第13詔で永手は12年ぶりの昇叔(しかも3階級特進)、第41詔で「法華寺は藤原氏縁の寺であるから」という理由(…かなり無茶苦茶な理由付けですが)で左大臣に昇格していますので、藤原氏がらみの宣命10件の内5件が永手がらみとなります。特に40,51,52は永手単独一人をさして出された物です。

さて、宣命は「奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。」(前掲wikipedia説明)とのことですが、奈良時代、大臣任命の時に必ず宣命は出された物なんでしょうか。気になってきたので、『続日本紀』(講談社学術文庫版)を偶然持っていたのでめくって調べてみました。
・大宝元年(701年)3月21日 阿倍御主人を右大臣にする:何も無し
・慶雲元年(704年) 石上麻呂を右大臣にする:何も無し
・和銅元年(708年)3月13日 石上麻呂を左大臣に、藤原不比等を右大臣にする:何も無し
・養老4年(720年)10月23日 故・藤原不比等に太政大臣を追贈する:詔
・養老5年(721年)1月5日 長屋王を右大臣にする:何も無し
・神亀元年(724年)2月4日 長屋王を左大臣にする:何も無し ※聖武天皇即位関連(これに関する宣命あり)
・天平6年(734年)1月17日 藤原武智麻呂を右大臣にする:何も無し
・天平7年(735年)11月14日 舎人親王に太政大臣を追贈する:詔
・天平10年(738年)1月13日 橘諸兄を右大臣にする:何も無し
・天平15年(743年)5月5日 橘諸兄を左大臣にする:何も無し ※阿部内親王(後の孝謙天皇)五節舞関連(これに関する宣命あり)
・天平21年(天平感宝元年、749年)4月14日 藤原豊成を右大臣にする:詔
・天平宝字元年(757年)5月20日 藤原仲麻呂を紫微内相にする:何も無し
・天平宝字2年(758年)8月25日 藤原仲麻呂を太保(=右大臣)にする:勅
・天平宝字4年(760年)1月4日 藤原仲麻呂を大師(=太政大臣)にする:宣命
・天平宝字8年(764年)9月14日 左遷されていた藤原豊成を右大臣に復職させる:何も無し
・天平宝字8年9月20日 道鏡を大臣禅師とする:宣命
・天平神護元年(765年)10月2日 道鏡を太政大臣禅師とする:宣命
・天平神護2年(766年)1月8日 藤原永手を右大臣にする:宣命
・天平神護2年10月2日 藤原永手を左大臣にする:宣命 ※下記注参照
・宝亀2年(771年)3月13日 大中臣清麻呂を右大臣にし、藤原良継を内臣にする:何も無し
・宝亀8年(777年)1月3日 藤原良継を内大臣にする:何も無し
・宝亀9年(778年)3月3日 藤原魚名を内臣にする:何も無し
・宝亀9年3月30日 藤原魚名の内臣を忠臣とする:何も無し
・宝亀10年(779年)1月1日 藤原魚名を内大臣とする:何も無し
・天応元年(781年)6月27日 藤原魚名を左大臣とする:何も無し
・延暦2年(784年)7月19日 藤原是公を右大臣とする:何も無し
・延暦9年(790年)2月27日 藤原継縄を右大臣とする:何も無し
※注:同日に海龍王寺から出て来た仏舎利を法華寺に奉納する儀式があり、その関連で道鏡が「法王」に任じられたが、永手は別の宣命で左大臣に任じられている。
…何と出ない方が普通だったようだ。詔など何らかの命令が出ているのが9/26、しかも宣命に限定すると5/26。
また内容を詳しく見てみると、宣命で大臣になった人はかなりの特殊事情があると考えられる
・天平宝字4年1月4日 藤原仲麻呂を大師(=太政大臣)にする→それまで生きている間に太政大臣になった臣下はいなかった
・天平宝字8年9月20日 道鏡を大臣禅師とする→それまで役人経験0の僧侶がいきなり大臣になった
・天平神護元年10月2日 道鏡を太政大臣禅師とする→同上
しかし、永手が任じられた右大臣も左大臣も太政大臣とは違って普通に生きている臣下が任じられる役職だし、当然永手は僧侶でもありません(^^;)
他の人同様普通に任命すればよいのに、わざわざ宣命という厳重な物を出して任じられる必要があったのでしょうか?


かなり長くなりそうだなあ…つづく。

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