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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回までのお話 その1 その2

かなりマニアックな話になってきましたので内容についてこれる人が少なそう(^^;)
ご興味のある方は「続きはこちら」をクリックプリーズ。






ここで再び昔に遡る。

奈良時代を代表する?ええとこの坊ちゃまヾ(^^;)だったはずの藤原永手がなぜか干されていた天平9年~天平21年。
その間にどんなことが起きていたのでしょうか。

天平9年 永手の父・房前を含むいわゆる藤原4兄弟を始め、多くの公卿が流行病で死去(※この年の暮れに永手2階級特進)
天平10年 阿倍内親王(後の孝謙天皇)が皇太子になる
天平12年 藤原広嗣の乱
天平13年 恭仁京に遷都
天平14年 広嗣の乱の影響で太宰府が廃止となる
天平15年 墾田永年私財法、大仏建立の詔
天平16年 難波京に遷都
天平17年 紫香楽宮に遷都、5月に平城京に遷都(戻都)
天平21年 陸奥国から黄金が採掘される(※この時の特別叙位で永手3階級昇進)

混迷の時代だった奈良時代の中でも、反乱は起きるし、首都は定まらないし、とりわけ大変だった12年間と言えるかと。
この中で藤原4兄弟の死以外で藤原氏にダメージを与えた事件というと、間違いなく天平12年の藤原広嗣の乱でしょう。藤原不比等以来ずっと伝領していた功封の返上に追い込まれるなど、権威が失墜した事件です。
が、その一方で広嗣が天下の失政(=橘諸兄or聖武天皇批判)を訴え、大乱を起こしたにも関わらず、連坐者は藤原式家一つに限定され、他の藤原氏には影響がなかった
…なかったとされていますが、本当にそうだったのでしょうか?

藤原広嗣が兵を起こしたとき、以下のことを訴えたと『続日本紀』には書かれています。
・天平12年8月29日条
「藤原広嗣が上表して、時の政治の得失を指摘し、天地の災異の原因になっていると述べ、玄坊と下道真備(後の吉備真備)を除くことを言上した」
・天平12年10月9日条
(広嗣は下馬した上、勅使に向かって2回拝礼し)「広嗣は朝廷の命令を拒むつもりはない。ただ朝廷を乱している二人の人物(※玄坊と吉備真備を指す)を却けることを請うだけである。」
橘諸兄政権下で不満を持っていた藤原氏は大勢いたはずで(と言うか、諸兄の異父妹である光明皇后が現にそうだしw)この広嗣の発言に「そうだそうだ!」と思った藤原氏メンバーは多かったと思います。
…しかしこの当時、人材不足という背景があったとはいえ、聖武天皇に任命されて政治の首班にいたのが諸兄であって、藤原氏の多くは
(広嗣の気持ちは分かるけど、それすなわち聖武天皇に逆らっていることになるじゃん)
と考え、同調はしなかったと考えられます
『続日本紀』を見る限りは。

ところがこの前後から急に史料から消えている藤原氏メンバーがいます。今回のネタ・藤原永手その人です。
実は天平9年秋、藤原4兄弟の死の直後に官位をもらった藤原氏の一人が永手であり広嗣でした。永手は和銅7年(714年)生まれ(『続日本紀』の没年から逆算)、広嗣の生年は現存史料では不明ですが、同母弟の宿奈麻呂(後の良継)の生年霊亀2年(716年)から余りさかのぼらないころの生まれと推測されますので、永手と同い年ぐらいだったと考えられます。
また、父の急死のため、若くして藤原氏の分家の当主になったという点も共通しています。
藤原氏が急に逆境に置かれたという状況の中、年齢・立場とも似通っていた2人は気の合うところも多かったのではないでしょうか。

ここからは見事に史料がないので推測するしかないのですが、広嗣が反乱を起こした中、永手だけが広嗣に同調するような発言をしたのかも知れません。或いは、実際に広嗣に加勢するような行動を起こそうとした可能性もあります。しかし前述したとおり、それは聖武天皇に対する反乱行為に他なりません。おそらく、誰かが-おそらく永手の母で高級女官でもあった牟漏女王-がそれを察知し、永手を引き留めたと考えられます。牟漏女王は同母兄・橘諸兄や異父妹の光明皇后に必死に命乞いし、その結果、広嗣の乱の累が北家にまで及ぶことはなかった物の、永手が長期逼塞する原因になったのではないでしょうか。

広嗣の乱では当然広嗣の兄弟等も連坐し流刑などの処分にあってしまいますが、2年後の天平14年に許されたようで、かなり出世は停滞していますが一応復帰しています。
例として藤原宿奈麻呂(後の藤原良継、広嗣同母弟)を挙げてみます。
 天平9年(736年)頃 祖父・藤原鎌足の蔭で正六位下に任官か(推定)
 天平12年(740年) 兄・藤原広嗣の乱に連坐、流刑(恐らく官位も取り上げられたと見られる)
 天平14年(742年) 恩赦、官位も戻されたか
 天平18年(746年) 従五位下に昇進(※この時点で永手と並ぶ)
 天平宝字元年(757年) 従五位上に昇進
 (以下略) 
しかし、永手は彼らと比べても更に扱いは悪く、12年もの間官位がストップしているところから見て、広嗣の乱にかなり干与していたのではないか、と推測できます。

また、この広嗣の乱の中、突如聖武天皇が東国に行幸するのですが、この時警護に当たったメンバーを見ると
南家:藤原仲麻呂
北家:藤原八束、藤原清河
式家:(0名)
京家:(0名)
です。反乱首謀者を出してしまった式家、恐らく唯一の男子・浜成が出仕前だった京家はともかく、すでに乙麻呂、巨勢麻呂と出仕者がいたはずの南家から仲麻呂一人しか参加していません。一方の北家は永手を除くすべての出仕者が参加しています。これは、永手の不始末をわびるために全員が随行したのではないでしょうか。
ちなみにこの時に八束は従五位下から従五位上に1年未満で昇進、この後急速に出世していきますが、『続日本紀』ではこれを「聖武天皇の寵が厚く」と書いています。永手が広嗣の乱に関わっていたとすると、下手したら同母弟の八束はこの行幸の途中で処刑されてしまう可能性もあったと考えられますが、それでも着いてきた度胸に聖武天皇が感じるところがあったのかも知れません。

永手が再び史料に出てくるのは天平感宝元年。
陸奥国から黄金が献上され、聖武天皇は「これで大仏に金メッキができる!」と驚喜し、特別に官位を授与します。この時の宣命(前回記事参照)で藤原氏は名前を挙げられてないにも拘わらず、何人か昇進に預かっているのですが、その中で唯一3階級特進したのが永手です。
この時の叙位では女官が多数昇進したのも特色ですが、その中に無官位から従五位下に上がった石上国盛と言う女性が入っています。彼女は藤原広嗣の母でした。
聖武天皇が一番関心を持っていた大仏関連の特別な慶事が起こり、広嗣の乱関係者だった永手もようやく許されたと考えられます。

その後は紆余曲折を経て、従二位大納言まで到達。天平神護元年11月、当時の政権の首班をつとめていた藤原豊成が右大臣を以て死去。当時次席であった永手が順当に行けば次の大臣に…となるはずですが、その時に藤原広嗣の乱に関わっていたという前歴が問題になったと思われます。
それまで大臣になった人物に天皇への反乱に関わったという人は一人もいません(大臣になってからやらかした藤原仲麻呂という人はいましたがw)
また藤原氏の中でも、広嗣の乱に関わってながら大臣になれるところまで出世した永手に対する風当たりは強い物があったと思います。特に広嗣の乱で一番ダメージを受け、長年出世が停滞していた式家の人々の嫉視は強い物があったでしょう。
その時の政権で永手の次席にいたのが、永手の弟の真楯(「八束」から改名していた)ですが、弟が兄を抜く前例はあっても(というかその前例を作った張本人が真楯(八束)なのだがw)、弟が先を越して大臣に就任した例はこれまで有りませんでした。藤原仲麻呂はどうしてもそれをしたかったので、無実の罪で兄・豊成を追い出したくらいです。

そこで登場したのが「宣命」です。「藤原氏は代々天皇に忠誠を尽くしてきた、その一族から大臣を出すのが当然である、だから永手を大臣にする」(ばんない意訳)と、藤原氏の特殊性を強調し、それを公の前で公表することで、藤原氏を含めた臣下の全員に、前科もちの永手が大臣になることを了承させたのではないかと。
永手が大臣在籍中は意外にも北家出身者が余り昇進していないのですが、木本好信氏はそれを「永手はバランス感覚に優れた人であった」と評価されているようです。しかし、私見のように永手が広嗣の乱関係者だったとすると、藤原氏内部からも厳しい目が向けられていたことが想定され、全体のバランスを見た人事をせざるをえなかった…と言うのが本当のところでしょう。

そして、称徳天皇が継嗣を定めず亡くなると、永手は当時大納言で聖武天皇の婿(聖武天皇皇女・井上内親王を后にしていた)だった白壁王を天皇に擁立します。いわゆる光仁天皇です。この事を光仁天皇は非常に恩義に感じたことは、永手が亡くなったときに2回も宣命が出て、太政大臣を追贈されたことから伺えます。
この光仁天皇のころに頓挫していた『続日本紀』の再編が始まったことは最初に触れましたが、この時に永手の過去に関するデータが削除され「空白の12年間」ができてしまったのではないかと考えます。恩人の黒歴史を正史に残すのを忍びないと光仁天皇が考えても当然でしょう。
そして結局削除されたデータは、その後『続日本紀』が再編されたときもそのまま再録されずに現代に至った…のではないでしょうか。



後もう一回つづきます。

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