拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回の続きです。
慶長14年のこの歌会はかなり盛大に行われた物らしく、当主/家久(=忠恒)の他、この当時の島津家のそうそうたる重臣が参加しています。
歌会の記録は藤井家に伝えられていたようです。一部虫損か何かで欠けてしまっているのが残念ですが、それらの歌も併せて紹介。
最初の和歌と読み人、そして2首目の題が欠落しているのが残念ですが、3首目(大炊助久正)の題が同じらしいと言うこと、そして歌の内容から、2首目と3首目の題はおそらく「秋夜月」だったのではないかと推測されます。
「豊信」は6首目で紹介した八木豊信、「久正」は頻出している義久専属家老の喜入久正だと思われます。「常久」は島津歳久の孫で日置島津家当主の島津常久でしょう。「宗親」は6首目で紹介した義久専属家老の平田宗親、「長泰」は相良長泰(後の島津家久(忠恒)側室・中の丸殿の実父)、「久洪」は伊集院久洪(島津歳久次女の後夫)、「国貞」は島津家家老の比志島国貞、「忠政」も同じく島津家家老の喜入忠政、「重高」は入来院重高(島津義久長女・御平の息子、義久の外孫の一人)、「紹益」は島津忠長か?「慰畋」は川上久隅と思われます。
他のメンバーは…宿題と言うことでヾ(--;)
何人か2回歌を詠んでいる人がいますが、それにしても家久(忠恒)の2回連続というのがちょっと悪目立ちしているように思われます。
この歌会については別史料でこのように紹介されています。
慶長14年のこの歌会はかなり盛大に行われた物らしく、当主/家久(=忠恒)の他、この当時の島津家のそうそうたる重臣が参加しています。
歌会の記録は藤井家に伝えられていたようです。一部虫損か何かで欠けてしまっているのが残念ですが、それらの歌も併せて紹介。
最後の歌の次に前回紹介した島津義久の一首が続くわけです。「正文在藤井孝左衛門」
「口切」
(欠字)元(欠字) ※「某元綱」か?
(欠字)
(頭欠字)秋のあハれも深き夜の月に声そふ軒の松風
右衛門尉豊信
同
秋の夜の月更ぬれはうす雪の松に嵐をきく心ちする
大炊助久正
同
さらてたに聞すてかたき松風のうへに照そふ夕月夜かな
琴松風
身にしむハ萩吹風の音信てけしきも秋と告渡る哉
家久
秋夕
時雨ふる遠山本の夕暮をなかめやるにも秋そさひしき
常久
契恋
恋しさも契る思ひそ浅からぬかハらしとたゝかくる行すゑ
忠俊
萩上露
花さかは小萩か本に宿りせんかたしく袖に露かゝるとも
忠重
歎別恋
ゆふつけの声に恨のいか計うき暁の別とおもへは
宗親
擣衣
さらてたにさひしき物をから衣してうつ里の秋の夕暮
元綱
深更月
起出て見ぬ夜ハあやな暁の空こそ月ハ隈なかりけれ
豊信
山月明
木の間にハのほかに見てし影もはやのほりて清き山のはの月
伴松
旅宿鶏
こしかたの旅の哀を思ふにもいく夜か聞し宿の鶏
景親
春秋霜
暮て行秋をしれとや置霜の色浅からぬ物と見るらん
宗可
夜虫
えらふにもわきこそかぬれ草村にふかきにすたくよるの虫の音
長泰
恨恋
替りぬる人の心をなミた先しりてや袖にしほれそふらん
久洪
山家
おもひやるよすかハ浅き山路にてすミてこそしれ深き心を
久正
田家
まはらなる庵りの内になひき入て風の敷たる稲ひしろ哉
玄与
野鹿
野へにをく朝夕露にさをしかのぬれてやひとり鳴音なるらん
国貞
初恋
ほの見つる其えにしこそ浅からねおもかけハたゝ身をはなれす
忠政
暁初雁
あかつきの雲の絶間と成にけり峯より落る初雁の声
重高
不逢恋
歎てもかひなかりけり年月の日に添て猶難面はなに
紹益
述懐
おさまれる御代より人の問くれは山も出へき心ちこそすれ
慰畋
最初の和歌と読み人、そして2首目の題が欠落しているのが残念ですが、3首目(大炊助久正)の題が同じらしいと言うこと、そして歌の内容から、2首目と3首目の題はおそらく「秋夜月」だったのではないかと推測されます。
「豊信」は6首目で紹介した八木豊信、「久正」は頻出している義久専属家老の喜入久正だと思われます。「常久」は島津歳久の孫で日置島津家当主の島津常久でしょう。「宗親」は6首目で紹介した義久専属家老の平田宗親、「長泰」は相良長泰(後の島津家久(忠恒)側室・中の丸殿の実父)、「久洪」は伊集院久洪(島津歳久次女の後夫)、「国貞」は島津家家老の比志島国貞、「忠政」も同じく島津家家老の喜入忠政、「重高」は入来院重高(島津義久長女・御平の息子、義久の外孫の一人)、「紹益」は島津忠長か?「慰畋」は川上久隅と思われます。
他のメンバーは…宿題と言うことでヾ(--;)
何人か2回歌を詠んでいる人がいますが、それにしても家久(忠恒)の2回連続というのがちょっと悪目立ちしているように思われます。
この歌会については別史料でこのように紹介されています。
「家久公御譜中」
同年(=慶長14年)八月、龍伯自国分来訪于鹿城、時家久請待営中、催和歌会、是因龍伯平素嗜敷島之道也、與侍臣等共分題、所詠之和歌如左、惜其中朽損而不全伝亦有焉、
(「薩藩旧記雑録」後編4-621)
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