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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
50首目は49首目と関連があります。
慶長7年、投谷八幡神社に詣でたときの歌会で詠われたとされるのです
が、なんと内容が全く違うのです。
「義久公御譜中」
「正文在恒吉八幡宮」
詠卯花盛久
和歌
法印龍伯
松か枝にたちましりたる卯の花のさかりは千とせふへきとそおもふ
(以下略)

(「薩藩旧記雑録 後編」3-1622)
義久の歌の続きに、同席者の和歌が続きます。この同席者は49首目で紹介した人と重なりますが、やはり和歌の内容が全く異なるのです。
詠卯花盛久
和歌
少将忠恒
うのはなのさけるさかりも久かたの月のひかりやいろをそゆらむ

夏日同詠卯花盛久
和歌
大膳亮忠俊
よろつ世もへぬへきものかあまてらす月にまかひてさける卯の花

夏日同詠卯花盛久
和歌
左衛門尉久高
いやつきにさきこそにほへ卯のはなのかきねをとをミしけり相つゝ

詠卯花盛久
和歌
沙弥抱節
卯のはなのかきほつたひはさやかなり空にしられぬ月の夜な/\

夏日同詠卯花盛久
和歌
紀伊守国貞
種をたれなにとうへけむとくをそく咲てかきねにつゝくうの花

夏日同詠卯花盛久
倭歌
大炊助久正
一へより八重にさきそふ卯のはなのえたもたハヽの雪と見るまて

夏日同詠卯花盛久
和歌
左衛門尉忠通
いくたひかゆふへの色をよそならむ卯の花さける陰の宿りは

夏日同詠卯花盛久
和歌
左兵衛尉道武
さむからて雪とそ見ゆる卯のはなのさかりになるゝ暮ことのそて

詠卯花盛久
倭歌
沙弥休心
さまさとをなくさめとてや卯のはなのさかりのかけのひさしかるらむ

夏日同詠卯花盛久
倭歌
兵衛尉宗親
いつ迄のなかめならまし白妙の卯の花さける里のけしきは

詠卯花盛久
和謌
沙弥宗察
しけりそふかきほに見ゆる卯のはなのかハらぬ色をとし/\にして

夏日同詠卯花盛久
倭歌
左衛門尉友知
にほひきてさかりしらする卯のはなの色より明るけふことのそら

夏日同詠卯花盛久
倭歌
右衛門尉豊信
日かすふる雪かとそみるうの花の咲てかきほもうつむはかりに

詠卯花盛久
倭歌
沙弥與進
ときしらぬゆきとそ見ゆる卯のはなのさきて日かすのつもる牆ほは
 
こちら(後編3-1621)の方には年紀がありませんが、「卯の花」がテーマになっているところからみて49首目(後編3-1622)と同じ時に作られたことは間違いないと思われます。ただ、こちらの方が「卯の花」という統一したテーマで詠われているところや、読み人に官名が着いていることなどから見て、正式な歌会っぽく思われます。


ところで、この恒吉八幡神社に詣でた時に作られたとおぼしき後編3-1622や3-1621にも収録漏れしたらしい和歌(?)がありました。
『在旧記』
慶長七年卯月廿六日
投谷八幡御法楽和歌
(本詠草は1622号、1623号詠草ト同文ニツキ省略ス)

初恋          道武
み初つる人に心を尽すこそ猶さかり行思ひ也けり
逢恋          久正
黒かミのとけてねし夜の名残こそ猶ミたれ行物おもひなれ
夏日同詠松間郭公和歌  図書頭忠長
岡野辺の松より松は明る夜の梢をつたふ郭公かな
貞昌
霊地至時心自眞 昔年出頭垂因 国家長久弥堅護 萬古名高住吉神
理心
未卜先生何宿辰 降来凡世古今論 白雲遂處宮香靄 千載流名住吉神
 
居並ぶメンバーが和歌を作成した中、やはりここでも漢詩をそらんじて悪目立ちした?伊勢貞昌さんでした。
理心さんは貞昌が浮かないように気を使って漢詩を作ったに違いないヾ(^^;)

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