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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
慶長七年卯月(=四月)二十六日に恒吉八幡なる神社で詠われた物です。
この「恒吉」というのは地名で、現在の投谷八幡神社(鹿児島県曽於市)と同じ神社のようです。参考 こちら
「正文在恒吉八幡」
(中略)
寄神祇祝
岩清水なかれたえせぬ神慮
ゆくゑを守れわか国の人   龍伯
慶長七年卯月二十六日
「左に写置といへ共、参照の為御譜中ニて写せり」
(「薩藩旧記雑録 後編」3-1624)
年月を見れば分かりますが、関ヶ原の合戦の後処理が大詰めに入った緊張の時期に作られた和歌で、義久の歌にも緊迫感が漂っているのが、素人の私にも明白に分かります。この和歌から見る限り、義久は某氏がいわれているような「徳川家康の権勢が分かっていなくて上洛を渋った石頭」という人物にはほど遠いように思われますが如何でしょうか。

ちなみにこの和歌は家臣総出で投谷八幡神社に詣で、その折の歌会で詠われた物のようです。上記で(中略)で略した部分に他の人の和歌が収録されています。
首夏風
誰がために夏かへるまて一もとの
はなをしかせの吹残すらん 忠恒
郭公
ほとゝきすいつちゆくとも暮ことの
やとは軒はの松をわするな 国貞
早苗
村雨のはるゝ行ゑに里みへて
なひく早苗や露こほすらむ 宗察
夏月
しはしたゝ惜に月はやすらハて
明やすき夜ハうらみならすや 休心
鵜川
山きはの蛍とみえて河をゆく
ひかりやともす鵜ふね成らん 抱節
夕立
遠山や入日のかけハさしなから
かたへにかゝる夕立の雲 忠俊
祈空恋
ゆふしての神に祈をかけてたに
浅きえにしハはかなかりけり 宗親
古寺
おりいつゝ雲のそこなる古寺ハ
思ひやるたにさひしかりけり 豊信
旅恋
打そひてある時たにもあかなくに
たひにしあれは猶そ恋しき 友知
海路
興津なミわくるまに/\なかめやる
雲こそふねのよすかなりけれ 与進
後朝恋
かへるさのあしたハ身をも分る哉
馴ぬる人に心のこして 忠通
納涼
くれことに哀しきかせをもよほして
友とこそなれ窓のなよ竹 久高
(以下、巻頭に続く)

投谷八幡神社に詣でたのは、今後島津家が無事存続できるよう祈りに行ったとも思えるのですが、それにしては義久以外の人々の和歌はかなり呑気な内容ではあります。


ところで、この時の歌会の歌として全く別の物が伝えられているのです。また、別の史料には欠落した?と思える他の人の和歌?も収録されています。それらは次回以降に紹介します。

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