拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
義久の和歌の中で、亀寿を取り返した一首と共に超有名な一首です。
といっても例によって上の句しかない_(。_゜)/
まさか自分でお祈りしてるとなると これ のイメージが頭について離れない訳なのだが。
といっても例によって上の句しかない_(。_゜)/
ここでお馬鹿な疑問なのだが「荘内平治記」
一去程に、義久公十月廿五日鹿児島を立て給ひ、日州ニ向わせ玉ふ、日已に半途にして暮けれハ、霧島ニ旌旗を止め、終夜義久公敵軍退散の祈誓を申させ玉ひつゝ、一炊の夢の内ニ権現の御告有、
討敵は龍田の川の紅葉かな
と新ニ霊夢を蒙らせ玉い、逆徒の退散疑ナシと悦の法施を奉り、喜悦の眉を開、十一月朔日ニ都於郡を打通り佐土原ニ着せ給ふ、野ニも山ニモ軍兵充満して、夥しともいふ計なし、斯て太守公財辺ニ兵を進め、大友の陳を責へしと詮儀已に定りけれとも、折節大雨降続て空く日を送り給ふ、
(「薩藩旧記雑録」後編1-1054)
義久御自ら徹夜でお祈りしたわけではないよね?「申させ玉ひつゝ」っていうのは他人に命令してやらせているって事だよね?終夜義久公敵軍退散の祈誓を申させ玉ひつゝ
まさか自分でお祈りしてるとなると これ のイメージが頭について離れない訳なのだが。
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