天正12年正月に詠まれた物です。
吉書
天筆和合楽地福皆円満
あら玉の年のはしめに筆とりてよろつのたから我そ書とる
君か代の久しかるへきためしには神そうへけん住吉の松
心たにまことの道にかなゐなはいのらすとても神や守らむ
天正十二年甲申正月三日 修理大夫義久(花押)
歳徳神殿
をく露に出るひかりのうつろへは
朝花
玉のかヽやく花とこそみれ 龍伯
(「薩藩旧記雑録」後編1-1374)
すぐにおわかりの人が多いと思いますが、最後の一首(お題「朝花」)は「龍伯」という署名から見て、後から(天正15年以降)に追加された物と思われます。
なぜここに追加されたのか、よく分かりませんが…
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