拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
注記
これから暫く「義久君上京日記(仮)」関連の歌が続きます。
「義久君上京日記(仮)」は昇順(1月→2月)と紹介したのですが、和歌の方はこちらのブログでは降順(12月→11月)と紹介していますので御了承下さい。
天正18年11月、在京中に詠んだ歌です。場所は今年の大河にも関係している?あの場所のようですね。
14日の「大納言」は豊臣秀長のことでしょう。大和郡山城までお見舞いに行ったものと思われます。実はこのときトラブルがあったようなんですが…それは別項にて。
その他は能役者と一緒に遊んでいることが多い様子。あ、「龍山公」こと近衛前久との遊びもヾ(^^;)
が、一転して11月末日は石田三成を朝早くから茶会に招いています。まあ単なる茶事ではなく政治の密談が主目的なのは明らかでしょう。同じ日に「景賜」なる家臣に帰国の暇を与えていますが、景賜が誰なのかは不明です。ご存じの方がいらっしゃいましたら御教示お願いします<(_ _)>
「義久君上京日記」該当箇所こちら
これから暫く「義久君上京日記(仮)」関連の歌が続きます。
「義久君上京日記(仮)」は昇順(1月→2月)と紹介したのですが、和歌の方はこちらのブログでは降順(12月→11月)と紹介していますので御了承下さい。
天正18年11月、在京中に詠んだ歌です。場所は今年の大河にも関係している?あの場所のようですね。
鞍馬寺に詣でた日以外の記録も何故か一緒に収録されています。和歌とは関係ないのですが何故でしょ?「義久公御譜中」
天正十八年十一月四日、詣鞍馬寺、入妙法坊為祈誓、而後所以帰京也、此時詠之、
「在御文書方」
はつ雪を待うるまてに色こくも
散のこりたるもミち一もと
天正十八年十一月十三日、與兵庫頭義弘倶発京都往大和、
同十四日、入大納言之第伸禮詞、而其翌帰京也、
同月十八日、有堀池弥次郎之招、與義弘倶入其宅、則有座敷能、呉服・梅枝・小蝶・自然居士・長良等也、
同月廿四日、依舞孫三郎之招、到其屋有乱舞、□(本来の字は「台」にしんにょう)深更矣、
天正十八年十一月廿七日、詣東山 龍山公、聴高話移時刻、戌時帰京也、
同月晦日、早旦招石田治部少輔三成於茶室、勤苔茗兵庫頭亦出座也、
同日、迄晩景賜帰国之暇、不計大慶非所言之可得而□(本来の字はてへんに「慮」)矣、
(「薩藩旧記雑録 後編」2-706)
14日の「大納言」は豊臣秀長のことでしょう。大和郡山城までお見舞いに行ったものと思われます。実はこのときトラブルがあったようなんですが…それは別項にて。
その他は能役者と一緒に遊んでいることが多い様子。あ、「龍山公」こと近衛前久との遊びもヾ(^^;)
が、一転して11月末日は石田三成を朝早くから茶会に招いています。まあ単なる茶事ではなく政治の密談が主目的なのは明らかでしょう。同じ日に「景賜」なる家臣に帰国の暇を与えていますが、景賜が誰なのかは不明です。ご存じの方がいらっしゃいましたら御教示お願いします<(_ _)>
「義久君上京日記」該当箇所こちら
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。