拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正19年(1591年)の変則?連歌会の頭の句です
この翌年に悲惨な事件で歳久が自害に追い込まれる悲劇がおこるとは、もちろん誰も分からなかったでしょう。
弟・歳久(晴簑)との連歌会でした。「左衛門督歳久譜中」
天正十九年辛卯、 太守法印龍伯公渡御於祁答院、賜宝刀龍啼已下、丁此之時興行於和漢百韻、
ふりも来ぬ雨をこめたるわか葉哉 龍伯
鵑呼雲上名 花厳「大願寺住持」
すめる夜ハ月の宮こも遠からて 晴簑
「和」 「漢」 「漢」 「和」「樺山兵部大輔入」
此末略之、連衆 珠長 黒成 虎岳 紹剣
「漢」「大願寺後住」「和」 「和」 「漢」 「和」「相良式部入道」
瑞岳 宗哲 篤和 宗鶴 珠羿
「和」「比志嶋紀伊守」 「和」「八木」 「和」
国貞 嘉竺 利貢執筆
(「薩藩旧記雑録 後編」2-800)
この翌年に悲惨な事件で歳久が自害に追い込まれる悲劇がおこるとは、もちろん誰も分からなかったでしょう。
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