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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
義久の死後、義久に使えていた喜入久正の他にもう一人追悼の和歌を詠んだ人物がいます。
取りあえず引用。
「御文庫三番箱巻三中」「義久公御譜中写在国府諸兵衛トアリ」
妙谷寺貫明存忠庵主ハ、たうけ十六代の太守たり、せんそのまつりごとにもこえて、あまたの国をしるよしのうちにし世をおさめ、たミをなで、あるいハ弓馬のしはんをなし、あるいハ敷嶋のミちを伝しより、朝にはしつかなる花のかけに、ゆう~として春色のけんするをおしミ、暮れは月の前にぎんしうして、秋光のたけなはなるをかなしひ、しんこうのまどの内には、法のともし火をかゝけしくわんざつの心あさからさりしに、慶長十五年らう月のすゑより例ならぬ御心あしくなり給ひて、次の春む月の中の十日あまりに、ぎやくりんのゆふへとなり給ひしかは、天にあふき、地に伏して、歎けともかひなし、哀なるかな會者定離のことハり、誰かハ此ミちいもれなん、しうゑんのおりしも、ミだの名号を御となへ給ひしかハ、六字を句のかミにして六しゆをつらね、そんれいに手向たてまつるものなり、
惟新
なしをける名残めかれぬ花かたミかたミにつめる手向種かな
六つの道はなれ出てハ九つのしなやはちすの臺なるらん
あたし野の露よりけなるミの向後のわするゝハうき世の習ひかも
ミちしあること~をのミ国のため人のをしへとすゝめし物を
たちのほる空にうかへる面かけハきえはてもせぬ夕煙かな
ふかき夜の月に寒たるかねのをとにかへのねふりハさめはてにけり
(「薩藩旧記雑録」後編4-788)
惟新という署名で分かるかと思いますが、義久の弟・島津義弘の追悼和歌で、島津家お得意の「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ・なむあみだぶ)」を頭に付けた全六首です。喜入久正のよりわかりやすいと思います。

なお、文章が漢字交じりになったほぼ同文の物が、実は喜入久正追悼和歌の続きに載っています。が、久正のを見て分かるようにかなり欠字が多いため、別の史料を採用させていただきました。


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