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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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島津義久が死んだときに15人もの殉死者が出たことは良く知られている話だと思います。
一方、義久と親しかった人物が追悼の和歌を書いていたことは余り知られてない話だと思います。

一人目は「大炊介久政」。字は違いますが、3首目や6首目で登場した「大炊介久正」と同一人物、つまり喜入久正と思われます。
では早速紹介
『旧記』
妙谷寺貫明存忠庵主、文と武を車の両輪の、鳥の双翼のことくし玉ひ、理無據民の志ふかく、九ツの国を幕下の内ニして、威海内ニして人<読めず>たりぬれば、四方の風靜にして草も木もなひきし<読めず>のミニなん、朝ニハ礼楽射御の道を翫、夕ニハやまとことはの奥旨を極め、造にもうます、顛観<この2文字ママ>く連序の窓の前ニハ真如の月ニこゝろをすましおもひし、慶長十九年の暮より<読めず>ならん、御心ちをもく<読めず>給ふて、次のとし睦月廿日余りニ身まかり給へハ、上中下の悲しミ述てもつくしがたし、筆ニも更也、幼き御恩徳のめくミハ山よりも高く海よりも深きを、泪ならてハたとうべき方もなし、身なし子の心地なから、御法名を句の上ニして、九品の愚詠を手向種ニ作るものならし、
大炊介久政
「一首シレス」
別れてふ有ハ仏の上ニさへ有けるものをあわれむの名むかしとて遠くハあらん庭の面もはる草高く成増る也免かれすとあふきなれつる陰頼む一木の花の跡如何ニせん
いとゝたにものかなしきを雲に入鳥の音さそふゆうつくる哉
そのことくなき名残さへ有物をとしはるなきし限とハしる
村薄もへ出よりすへのゝ<読めず>本のしつくを忍ふ草かな
ちれは咲花ならんよのせからしをあわれいつ迄有てなけかん
海ちかく山遠からん寺の前ニ御法の舟の浮む長閑さ
(「薩藩旧記雑録」後編4-787)
欠字(<読めず>と書いてある部分)が多く、完璧には意味が取れないのが残念ですが、久正の嘆きの深さは「御恩徳のめくミハ山よりも高く海よりも深き」などで伺えるかと思います。
肝心の「御法名を句の上ニして」作ったという和歌も、補注によると「一首シレズ」とあり、1首欠損しているようなのです。更に、この元の文書になったと思われる『旧記』の改行がまずかったのかどうか、3首の歌がずるずるつながって一つの文になってしまっています。おそらくは「別れてふ有ハ仏の上ニさへ有けるものをあわれむの名」「むかしとて遠くハあらん庭の面もはる草高く成増る也」「免かれすとあふきなれつる陰頼む一木の花の跡如何ニせん」と区切られるのではと思われます。この区切りが正しいとすると、実際は一首も欠損してないことになりますが、頭の文字をとっても「かんめいぞんちゅう(かむめいそむちう)」にはならないんですよね。「別」の中にカタカナの「カ」が入っているので無理矢理読み込んだことにしたのだろうか?


追悼の句を書いたもう一人の人については次項に続く?



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