拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
関連エントリはこの辺とかこの辺
これ以上島津ネタから脱線したくない!と言いつつ、今田を調べていてこの人はどうしても気になったので、一度読んでみたいと思いまして…追悼文集を入手してみました
もちろん自費出版らしく稀覯本なので鹿児島県立図書館から_(。_゜)/
しかもなぜか県立は県立でも奄美分館に…
それにしても鹿児島から島津関連本以外の本を取り寄せるとは思いも寄らなかった。
実物見てビックリしたのだが、ハードカバーでかなり立派な本。
内容ですが
・今田ネタはほぼ登場せず_(。_゜)/ というか、話のほとんどが昭和14年(つまり今田左遷)以降…
・高嶋が亡くなった時点(昭和53年81歳で死去)で、今田・高嶋の同期(陸士30期生)はまだ130人ぐらい生き残っていたらしい(○。○) もしかしたら今でも一人くらい…流石に無理か(汗)
・ドイツ留学時に親しんだことをきっかけにコーヒーマニアになったらしい…親近感がヾ(^^;)※ばんないは一日5杯からコーヒー飲みます
・その一方でカルピスネタは登場せず(´・ω・`)
・この追悼本に記事を寄せている高嶋の先輩・辰巳栄一、有末精三…あんたら一体年いくつヾ(--;)
・生前は優しくて寛大な人だったという賛辞多数 だがしかし、時々ぽっと出てくるユダヤ陰謀論とか…( ゚д゚) ポカーン
・あと、見た目は胡散臭いおっちゃんですが(ヲイ!)妙に神秘的なところがあって、予言的なことを言ってそれがずばり当たることが多かったようだ
・そもそもは多賀谷家という若狭の大工さんの家の出身だったのが、余りにも幼年学校受験時の成績が良かったので、同郷の軍人に目をつけられ、「将来は我が家の婿養子に」という約束で養子に取られる。受験時には「多賀谷辰彦」だったのが、受験終了時には「高嶋辰彦」になってたらしい
・で、成長後は約束通りに高嶋家の婿養子になった。次々に男の子に恵まれ…が、生まれた片っ端から3人の子供に死なれるという不運っぷり。でもその後に生まれた3人の子は無事成長した。合計6人ですか。頑張りましたね。奥さんが。
・戦後は治療ミスで聴力が低下し、晩年は全く聞こえなかったとか…それでも乞われると講演には無理を押して出たらしい
・今田、高嶋と陸軍士官学校、陸軍大学校両方で同期だった桜井徳太郎とは死ぬまでつるんでいた模様
※なおこの「桜井徳太郎」ですが同名の超有名らしい民俗学者では勿論ありません 終戦時には片倉衷とただ2人の要注意人物と言われ(リンク先p.11)、戦後は出家した後「三無事件」なんていうのにも絡んていた、「このぶっ飛びぶりはさすがは今田の友人よ」という…ヾ(--;)
・ちなみにこの本の出版元は、この桜井徳太郎の甥の会社みたいです。
・どうもあの十河信二とも知り合いだったらしい…まさか今田つながりか?
・お墓は多磨霊園にあるとか 今田とご近所ですね!(^^;) ちなみに戒名は「寂光院辰誉朗然居士」だとか
今田が「悲運の軍人」だとしたら高嶋は「不運な軍人」でしょうか
晩年耳を悪くしたのは、本当に悔しかっただろうな…私も聴力に支障があるので何となく気持ちは分かる
あと同じ天才型でも石原莞爾のような罵倒型じゃなくて、割と品があってほんわかした雰囲気が漂っていた人だったようです。でも妥協できないところは似ていて、それが原因で中央から出されたみたい
これ以上島津ネタから脱線したくない!と言いつつ、今田を調べていてこの人はどうしても気になったので、一度読んでみたいと思いまして…追悼文集を入手してみました
もちろん自費出版らしく稀覯本なので鹿児島県立図書館から_(。_゜)/
しかもなぜか県立は県立でも奄美分館に…
それにしても鹿児島から島津関連本以外の本を取り寄せるとは思いも寄らなかった。
実物見てビックリしたのだが、ハードカバーでかなり立派な本。
内容ですが
・今田ネタはほぼ登場せず_(。_゜)/ というか、話のほとんどが昭和14年(つまり今田左遷)以降…
・高嶋が亡くなった時点(昭和53年81歳で死去)で、今田・高嶋の同期(陸士30期生)はまだ130人ぐらい生き残っていたらしい(○。○) もしかしたら今でも一人くらい…流石に無理か(汗)
・ドイツ留学時に親しんだことをきっかけにコーヒーマニアになったらしい…親近感がヾ(^^;)※ばんないは一日5杯からコーヒー飲みます
・その一方でカルピスネタは登場せず(´・ω・`)
・この追悼本に記事を寄せている高嶋の先輩・辰巳栄一、有末精三…あんたら一体年いくつヾ(--;)
・生前は優しくて寛大な人だったという賛辞多数 だがしかし、時々ぽっと出てくるユダヤ陰謀論とか…( ゚д゚) ポカーン
・あと、見た目は胡散臭いおっちゃんですが(ヲイ!)妙に神秘的なところがあって、予言的なことを言ってそれがずばり当たることが多かったようだ
・そもそもは多賀谷家という若狭の大工さんの家の出身だったのが、余りにも幼年学校受験時の成績が良かったので、同郷の軍人に目をつけられ、「将来は我が家の婿養子に」という約束で養子に取られる。受験時には「多賀谷辰彦」だったのが、受験終了時には「高嶋辰彦」になってたらしい
・で、成長後は約束通りに高嶋家の婿養子になった。次々に男の子に恵まれ…が、生まれた片っ端から3人の子供に死なれるという不運っぷり。でもその後に生まれた3人の子は無事成長した。合計6人ですか。頑張りましたね。奥さんが。
・戦後は治療ミスで聴力が低下し、晩年は全く聞こえなかったとか…それでも乞われると講演には無理を押して出たらしい
・今田、高嶋と陸軍士官学校、陸軍大学校両方で同期だった桜井徳太郎とは死ぬまでつるんでいた模様
※なおこの「桜井徳太郎」ですが同名の超有名らしい民俗学者では勿論ありません 終戦時には片倉衷とただ2人の要注意人物と言われ(リンク先p.11)、戦後は出家した後「三無事件」なんていうのにも絡んていた、「このぶっ飛びぶりはさすがは今田の友人よ」という…ヾ(--;)
・ちなみにこの本の出版元は、この桜井徳太郎の甥の会社みたいです。
・どうもあの十河信二とも知り合いだったらしい…まさか今田つながりか?
・お墓は多磨霊園にあるとか 今田とご近所ですね!(^^;) ちなみに戒名は「寂光院辰誉朗然居士」だとか
今田が「悲運の軍人」だとしたら高嶋は「不運な軍人」でしょうか
晩年耳を悪くしたのは、本当に悔しかっただろうな…私も聴力に支障があるので何となく気持ちは分かる
あと同じ天才型でも石原莞爾のような罵倒型じゃなくて、割と品があってほんわかした雰囲気が漂っていた人だったようです。でも妥協できないところは似ていて、それが原因で中央から出されたみたい
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