拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正18年3月から12月まで日記
天正18 3月日 ここに記す。
1日 関白様(※1)が(小田原に向けて)ご出馬されたので、粟田口で見物したよ(見送ったんじゃないのかよ)
その後、細川幽斎と一緒に能をやったよ
2日 里村紹巴に御礼のお使いを送ったよ
3日 御家門様(※2)がお越しになられたよ。南蛮人を呼んできて見物会したよ。
この日、市掃兵衛尉がお酒を送ってくれたよ。
4日 東山(※3)へ行って、龍山(※4)様にお礼したよ。戌の刻に馬で帰ってきました。
5日 早朝、東山に昨日のお礼のお手紙を送りました。この日、御家門様にもお礼しました。
6日 関東へ山のように手紙送ったよ(※5)。その御使者には伊地知民部大輔を指名しました。この日は(伊勢への)出発無し。
6日 伊勢参りに出発する予定だったけど、天気悪かったので中止!
7日 (伊集院)抱節、本因(本田因幡守)に思う所をお話になられました。
8日 本田因幡守がお国元に(義久の)考えを伝達するために下向しました。
?日 お宿に里村紹巴が来てくれました。お酒とおつまみ持ってきてくれたよ。
この日、内裏のお花を見物した方がいいよと紹巴が言ったので、これを見物しました(原文「此日内裏之花御覧候へと紹巴御異見ニて、御覧有之、」)
20日 伊勢から帰ってきました。詳細は別紙にて(※6)
21日 この晩、渋谷対馬守からお酒をプレゼントしてもらいました
22日 北郷讃岐守からお酒をプレゼントしてもらいました
23日 大和大納言殿(※7)にお礼を申し上げに行きました
24日 桑山修理大夫殿(※8)に朝食(※9)、それから玄貳法印(※10)へお礼、また大政所・小政(※11)へお手紙、この晩家来(原文「国衆」)が先日の坂まで迎えに来ると申し上げました、深夜まで無礼講
25日 毛利殿(※12)からお使いが来ました
26日 内裏で能見物、日吉大夫が演じました
27日 千本(※13)の花を龍山様の御供をして見物したよ、それから金閣寺に行き、いろいろお心配りされました。ダンサー(原文「乱舞衆」)など読んできて、連歌会もやったよ。帰ってきたのは夜になってから。
28日 <空欄>
29日 東山で青蓮院様へお礼を申し上げに行きました。先に点心があり、その後にご飯がありました(※14)。尊円親王(※15)の御真筆を沢山見たよ。大和守殿(※16)もそこにやってきたよ。
※1:もちろん豊臣秀吉のことである
※2:近衛信尹のことと思われる
※3:おそらく銀閣寺のこと 拙ブログのこの記事も参照されたし。
※4:近衛前久のこと
※5:おそらく小田原出陣中の島津久保や家臣に送ったと思われる
※6:…ということで義久の伊勢見物は記録がないようです…
※7:もちろん豊臣秀長のこと
※8:豊臣秀長の家臣・桑山重晴のこと
※9:※「薩藩旧記雑録」後編2-705によれば、桑山修理大夫で朝食 と逆の様子なのだが
※10:前田玄似か?
※11:「小政」が誰に当たるか不明
※12:毛利輝元と思われる
※13:たぶん地名だと思われる。現在も京都に千本通があるのでその近辺か?
※14:点心とご飯は別物だったらしい
※15:尊円法親王(1298~1356)のこと
※16:誰か不明
天正18 3月日 ここに記す。
1日 関白様(※1)が(小田原に向けて)ご出馬されたので、粟田口で見物したよ(見送ったんじゃないのかよ)
その後、細川幽斎と一緒に能をやったよ
2日 里村紹巴に御礼のお使いを送ったよ
3日 御家門様(※2)がお越しになられたよ。南蛮人を呼んできて見物会したよ。
この日、市掃兵衛尉がお酒を送ってくれたよ。
4日 東山(※3)へ行って、龍山(※4)様にお礼したよ。戌の刻に馬で帰ってきました。
5日 早朝、東山に昨日のお礼のお手紙を送りました。この日、御家門様にもお礼しました。
6日 関東へ山のように手紙送ったよ(※5)。その御使者には伊地知民部大輔を指名しました。この日は(伊勢への)出発無し。
6日 伊勢参りに出発する予定だったけど、天気悪かったので中止!
7日 (伊集院)抱節、本因(本田因幡守)に思う所をお話になられました。
8日 本田因幡守がお国元に(義久の)考えを伝達するために下向しました。
?日 お宿に里村紹巴が来てくれました。お酒とおつまみ持ってきてくれたよ。
この日、内裏のお花を見物した方がいいよと紹巴が言ったので、これを見物しました(原文「此日内裏之花御覧候へと紹巴御異見ニて、御覧有之、」)
20日 伊勢から帰ってきました。詳細は別紙にて(※6)
21日 この晩、渋谷対馬守からお酒をプレゼントしてもらいました
22日 北郷讃岐守からお酒をプレゼントしてもらいました
23日 大和大納言殿(※7)にお礼を申し上げに行きました
24日 桑山修理大夫殿(※8)に朝食(※9)、それから玄貳法印(※10)へお礼、また大政所・小政(※11)へお手紙、この晩家来(原文「国衆」)が先日の坂まで迎えに来ると申し上げました、深夜まで無礼講
25日 毛利殿(※12)からお使いが来ました
26日 内裏で能見物、日吉大夫が演じました
27日 千本(※13)の花を龍山様の御供をして見物したよ、それから金閣寺に行き、いろいろお心配りされました。ダンサー(原文「乱舞衆」)など読んできて、連歌会もやったよ。帰ってきたのは夜になってから。
28日 <空欄>
29日 東山で青蓮院様へお礼を申し上げに行きました。先に点心があり、その後にご飯がありました(※14)。尊円親王(※15)の御真筆を沢山見たよ。大和守殿(※16)もそこにやってきたよ。
※1:もちろん豊臣秀吉のことである
※2:近衛信尹のことと思われる
※3:おそらく銀閣寺のこと 拙ブログのこの記事も参照されたし。
※4:近衛前久のこと
※5:おそらく小田原出陣中の島津久保や家臣に送ったと思われる
※6:…ということで義久の伊勢見物は記録がないようです…
※7:もちろん豊臣秀長のこと
※8:豊臣秀長の家臣・桑山重晴のこと
※9:※「薩藩旧記雑録」後編2-705によれば、桑山修理大夫で朝食 と逆の様子なのだが
※10:前田玄似か?
※11:「小政」が誰に当たるか不明
※12:毛利輝元と思われる
※13:たぶん地名だと思われる。現在も京都に千本通があるのでその近辺か?
※14:点心とご飯は別物だったらしい
※15:尊円法親王(1298~1356)のこと
※16:誰か不明
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