拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=20070512002422007/05/12-18:31
400年ぶりの歴史的和解=文禄・慶長の役ゆかりの日韓子孫
【安東(韓国・慶尚北道)12日時事】
豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した当時、朝鮮王朝の行政官として最高位にあった柳成龍の没後400年の追悼行事が12日、韓国の慶尚北道安東市で行われた。戦火を交えた日韓武将の子孫らも出席し、4世紀ぶりの和解を果たした。
日本からは、文禄・慶長の役で豊臣軍の総大将を務めた宇喜多秀家と先鋒(せんぽう)の小西行長のそれぞれの子孫が参加。また、朝鮮の英雄、李舜臣の子孫のほか、朝鮮の援軍として参戦した明の武将の子孫も中国から出席した。
※太字は当方補足強調
小西行長が何物かを知らない人はこちら(wikipedia該当項目)参照
「韓国ってこういう子孫を招いて謝罪させるイベントが好きねぇ」と
小西行長に子孫っているのか
上記リンクで紹介したwikipedia該当項目ではかなり丁寧に調査がされており、行長の確実な子孫はどうもいないようなことが書かれているが…じゃ、このイベントに出た「小西行長の子孫」って何物なの?
詳報が入ってきました
…韓国の新聞だが(苦笑)
やっぱり土下座イベントだったんだ。
それにしても、苗字は確かに「小西」のようだが、本当に行長の子孫なのか?この人?
なんだかイベントの内容をよく分からないまま、韓国にタダで遊びに行けるとだまされて連れてこられたような気もしなくもない。
…韓国の新聞だが(苦笑)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=87435&servcode=400§code=400壬辰倭乱日本軍総司令官17代孫「先祖の代わりにお詫びします」
12日午後3時、慶北安東市洛東江(キョンブク・アンドンシ・ナクトンガン)辺りのタルチュム(仮面舞)祭り会場。
午前降った雨が止むと「西?柳成竜(ソエ、リュ・ソンヨン、1542〜1607)先生逝世400周年追慕祭典」が行われる会場に道袍と儒巾の儒林(ユリム)と全国郷校から来た100余の崇慕旗が入場した。
(中略)
四人は西?の14代宗孫であるユ・ヨンハさん(81)と壬辰倭乱当時朝鮮を侵略した日本軍急先鋒小西行長の17代子孫である小西尊徳さん(73)、朝鮮を 支援した明の武将李如松の13代子孫である李士革さん(41)、栗谷李珥(ユルゴク、イ・イ)の15代宗孫であるイ・チョンヨンさん(65)。戦争当事者 である韓日中の武将の子孫の和解に続き、四色党派に分かれた東西間も一緒に和解しようという意味だ。
たいまつが燃えると六人は皆、後ろの大型聖火台に集まって火を1カ所に集め、手を取り合った。合わされた火は聖火台で赤々と燃えた。会場にはこの瞬間、和解を祈る銀の紙ふぶきと拍手があふれた。
壬辰倭乱当時、日本総司令官を務めた宇喜多秀家の13代子孫浅沼秀豊さん(53)は和解の火の前で「先祖の代わりに心よりお詫びする」と見事な韓国語で頭を下げ、行事場所をおごそかで静粛にさせた。
小西尊徳さんは「豊臣独裁者の野心のため朝鮮に苦痛を与えた先祖も戦争後、首を切られたし、子孫たちはばらばらと散らばってなんとか子孫を残した」と述懐 した。また「多くの方が温かく接してくれたのでありがたい」とし「こんな集まりが隣りの両国間に友好を深めるきっかけになるように願う」と言った。
(以下省略)
安東=ソン・ウィホ記者
やっぱり土下座イベントだったんだ。
それにしても、苗字は確かに「小西」のようだが、本当に行長の子孫なのか?この人?
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うーん
はじめまして、ブログ主さんは怪しげと決め付けてますが、「小西行長の子孫」というとこを杓子定規に捉えなくても、
少なくとも行長の弟の小西行景の子孫はちゃんと残ってますよ。
そんなに疑惑の目で見なくてもいいと思います。
それと小西さんの最後の発言ですが小西家にとって「朝鮮の役」というのが災難であったことは確かです。
少なくとも行長の弟の小西行景の子孫はちゃんと残ってますよ。
そんなに疑惑の目で見なくてもいいと思います。
それと小西さんの最後の発言ですが小西家にとって「朝鮮の役」というのが災難であったことは確かです。
無題
初めまして花田さん
>杓子定規
しかし元になった中央日報の記事では「豊臣秀吉の子孫はいない」とも書いてますね。
「日本からは宇喜多秀家の15代孫である浅沼漱豊さん(53)と小西行長の子孫、小西尊徳さんら15人が参加する。中国からは李如松の13代子孫にあたる李沢綿(46)ら2人が参加する。しかし朝鮮侵略を企てた豊臣秀吉の子孫はいないということで招請からは省かれた。」
花田さんの理屈で言えば、木下氏(旧日出藩)も「豊臣秀吉の子孫」と言うことになりますね。ちなみに木下氏の末裔も現在いらっしゃいます。ということから見ると、「子孫」という言葉の意味合いを恣意的に扱っているような。
>「朝鮮の役」というのが災難
それは小西行長以外の大名、というより豊臣秀吉以外のほとんどの日本人にとっても災難だったのは事実でしょうね。
>杓子定規
しかし元になった中央日報の記事では「豊臣秀吉の子孫はいない」とも書いてますね。
「日本からは宇喜多秀家の15代孫である浅沼漱豊さん(53)と小西行長の子孫、小西尊徳さんら15人が参加する。中国からは李如松の13代子孫にあたる李沢綿(46)ら2人が参加する。しかし朝鮮侵略を企てた豊臣秀吉の子孫はいないということで招請からは省かれた。」
花田さんの理屈で言えば、木下氏(旧日出藩)も「豊臣秀吉の子孫」と言うことになりますね。ちなみに木下氏の末裔も現在いらっしゃいます。ということから見ると、「子孫」という言葉の意味合いを恣意的に扱っているような。
>「朝鮮の役」というのが災難
それは小西行長以外の大名、というより豊臣秀吉以外のほとんどの日本人にとっても災難だったのは事実でしょうね。