拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
4首目は3首目と同じ小根占(現鹿児島県南大隅郡南大隅町)を義久が訪問したときに詠った物です。
同じ和歌が別の文書にも採録されていますが、日付などやや異同があります。
「義久公御譜中」「正文有之」
「重長」とは禰寝重長のこと。この和歌にも詠われたように明からミカンを輸入し、日本で最初に温州ミカンの栽培に成功するなど禰寝氏の振興を計った戦国武将として知られています。当初は島津氏と敵対していた肝付氏と同盟していましたが、後に島津義久の調略により島津氏側に付いたという因縁の人物でもあります。「小根占園林寺由緒抜書」
(前半は3首目で引用したので略)
右之時、樒柑山の御詠も当寺ニ而御書せ、為致拝領由申伝候、于今格護仕候事、
いにしへ重長といひし人の温州の橘山とて、植そたてをかれし所に行て、これを詠す
法印龍伯
時ならぬ冬まて残る木の本ハこれやとこ世のやとの橘
慶長十五年十月廿二日
(「薩藩旧記雑録」後編4-766)
同じ和歌が別の文書にも採録されていますが、日付などやや異同があります。
「義久公御譜中」「正文有之」
前の重武といひし人のうんせいのたち花山とて、植そたてをかれし所をたつね行て詠之、
法印龍伯
時ならぬ冬まて残る木の本ハ
これやとこよの宿のたち花
慶長十五年十月廿五日
(「薩藩旧記雑録」後編4-765)
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。