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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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2首目よりちょっと前の慶長15年10月の作
「小根占園林寺由緒抜書」
慶長十五年小根占江 龍伯様御光儀之時、当寺江御成被遊候、御詠歌御短尺并御供衆之御短冊、于今格護仕候、左ニ記之
松杉のたちならひたる古寺はわけ入てこそ心すみけれ
                   龍伯
(「薩藩旧記雑録」後編4-765)
園林寺は禰寝氏の菩提寺。この頃は旧本拠地にありましたが、その後、禰寝氏の新領地となっていた吉利郷(現鹿児島県日置市)に移転します。廃仏毀釈で廃寺となりましたが、禰寝氏歴代の墓だけは残っています。今ではあの小松帯刀の墓所としての方が有名かも。
義久には79歳で亡くなる前年ですが、国分から小根占(今の大隅半島の南端部)まで行く体力はこの頃はあったようです。

ちなみに同行者の和歌も合わせて載っていますが、それは以下の通り。
おほけなき袖を待えて古寺も玉しくにわとなりにける哉
                      誾道
こほるより岩根の水の音絶てなを静なるおくの山寺
                  住房
杉むらの木のまのもみち冬かけてけふをまちける法の場かも
                  久正
たつね入おく山寺は岩木さへ心あるへきけしきなりけり
                  忠通
冬かれをよそなる松のみとりこそたへなる寺のしるしなりけれ
                  如有
古寺の砌に松に風ふれてさなから法の声を聞かな
                  重位
「久正」は島津義久付き家老であった喜入久正と思われます。大変長生きした人で、義久の娘・亀寿の最期も看取ったと思われる人物です。
最後の和歌を詠んだ「重位」はあの有名な東郷重位と思われます。
…後の人は不明ヾ(--;) 判明したら後から追加するかも。


この時義久はもう一首詠んでいますが、それは項を変えて続けます。


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