拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
たまに拝見させて頂く某掲示板より
※一部を当方判断により伏せ字にしております 余り意味ないけど(;¬_¬)
※下腺は当方による補足
梅原猛氏がかつて阿武山古墳を中臣(藤原)鎌足の墓と断定したのは、確か九条家に伝承されていた話が根拠の一つだったと記憶しているが(出典は『藤原鎌足 』だったかな)、もしかしたらこのことと関係あるのかも。
参考ブログ:歴史と地理な日々「坂上田村麻呂の墓が特定できた件」
鎌足桜 投稿者:□□ 投稿日:2011年 1月30日(日)00時29分2秒
○○さん
黒田智氏『藤原鎌足、時空をかけるー変身と再生の日本史』に、京都上善寺所蔵「宇賀弁才天十五童子像」に触れて、次のような記述があります(同書27頁~)。
「宇賀弁才天十五童子像」。弁才天は、七福神のひとりとしておなじみ、池畔に棲む白蛇を使いとする神さまである。インド・中国をへて日本にわたってきたと きは、福徳・延寿・財宝をつかさどる女神であった。中世の日本では、琵琶をもつ楽神妙音天としてつとに知られるようになるが、もうひとつきわめて特異な弁 才天信仰が展開していた。滋賀県竹生島と奈良県天河社を中心とする宇賀弁才天である。
上善寺所蔵「宇賀弁才天十五童子像」は、十四世紀ころの制作になる。画幅の中央には、ひときわ大きな宇賀弁才天が蓮華座に座す。弁才天は、宝剣や輪宝、 弓、宝珠などをとる八臂の女神姿である。その頭上には、宇賀神という小さな神像がいる。宇賀神は、とぐろを巻いた白い蛇体の上に白髪の老翁姿の頭部をもつ 一風変わった姿をしている。(中略)
永正七年(一五一〇)九月、多武峰に安置されていた鎌足木像に破損が発見された。いわゆる破裂である。この一連の騒動のなかで、九条尚経は、鎌足の墓の上 とともにあらわれた白蛇の奇瑞にふれて、鎌足とダキニ天・宇賀弁才天とが同体であるとする独自の説を開陳している。鎌足が築いた宇賀塚の地に建てられた九 条邸の鎮守がダキニ天であり、弁才天でもあるという。どうやら、こおころ九条家では、近衛家との正嫡争いのなかで、鎌足をめぐるあらたな説話がつくり出さ れていたようである。
宇賀神は穀物神で、稲荷信仰ともかかわりが深く、大地の精霊であるダキニ天ともむすびついている。中世の弁才天は、宇賀神と習合することでダキニ天とむす びついていた。先に述べたように、ダキニ天は、「摂?の縁起」によって鎌足と深い関係をもっていた。上善寺所蔵「宇賀弁才天十五童子像」に鎌足像が描き加 えられたのは、あるいはこうした九条家の言説を背景とするものなのではあるまいか。
※一部を当方判断により伏せ字にしております 余り意味ないけど(;¬_¬)
※下腺は当方による補足
梅原猛氏がかつて阿武山古墳を中臣(藤原)鎌足の墓と断定したのは、確か九条家に伝承されていた話が根拠の一つだったと記憶しているが(出典は『藤原鎌足 』だったかな)、もしかしたらこのことと関係あるのかも。
参考ブログ:歴史と地理な日々「坂上田村麻呂の墓が特定できた件」
実は同じ掲示板で紹介されていたこっちの論文の方が、拙HPに関連がある話題かも。
「稲荷とシャーマン─曹洞宗との関連性を中心に」(横井教章、『宗学研究紀要』18号、2005年)
2年前に上石津町に行ってからずっとあることが気になっていたのですよ。これがヒントになって解けるかなあ?
でも某掲示板では
なんて紹介されているから、期待薄かもヾ(--;)
「稲荷とシャーマン─曹洞宗との関連性を中心に」(横井教章、『宗学研究紀要』18号、2005年)
2年前に上石津町に行ってからずっとあることが気になっていたのですよ。これがヒントになって解けるかなあ?
でも某掲示板では
冒頭に、「稲荷は特に屋敷神、つまり家の守り神として、その宅地内に祀られていることが多く、その鳥居は人々の心のよりどころとしてデパートの屋上にまで散見される。稲荷信仰の不思議なところは、狐という野獣への信仰とダキニ天というインドの魔人崇拝が、稲荷という日本の現世利益の神と結びついて複合している点であり、稲荷は特に江戸時代に爆発的な流行をとげたといわれている」などとあり、彌永信美氏の洗練された文章を読んだ後に読むのはちょっとつらいですね。 文章だけでなく、内容も少々粗っぽくて、素直に頷けない点が多いですね。
なんて紹介されているから、期待薄かもヾ(--;)
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