拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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はじめまして
はじめまして。
大変失礼とは思いましたが、お書きになられたURLではfacebookのトップページにしか飛ばなかったので、名前で検索の方をかけさせて頂きました。小早川秀秋をご専門に研究されていらっしゃると言うことで、わざわざのお越し恐れ入ります。
当該の件についても永井様のお書きになられた本を入手すればよいのですが、非売品で入手困難な物もあるようなので、ここで少し質問させて頂いて宜しいでしょうか。
>失礼ながら、当時の秀秋の年齢は15歳です
つまり、関ヶ原の合戦の起きた当時の秀秋の年齢は19歳ですから、伏見城→常寂光寺の移築はそれをさかのぼる4年前(慶長2年)である、と言う事と理解して宜しいでしょうか。
今再度常寂光寺の公式HPを確認すると、本堂についてはこう説明されています
「本堂は、第二世通明院日韶上人(日野大納言輝資の息男)代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して本堂としたもの。」
公式HPでは明記されていないですが、常寂光寺は日蓮宗寺院だったんですね。寺名がそれっぽくないので全く存じませんでした。
またご指摘などありましたらよろしくお願い申し上げます。
大変失礼とは思いましたが、お書きになられたURLではfacebookのトップページにしか飛ばなかったので、名前で検索の方をかけさせて頂きました。小早川秀秋をご専門に研究されていらっしゃると言うことで、わざわざのお越し恐れ入ります。
当該の件についても永井様のお書きになられた本を入手すればよいのですが、非売品で入手困難な物もあるようなので、ここで少し質問させて頂いて宜しいでしょうか。
>失礼ながら、当時の秀秋の年齢は15歳です
つまり、関ヶ原の合戦の起きた当時の秀秋の年齢は19歳ですから、伏見城→常寂光寺の移築はそれをさかのぼる4年前(慶長2年)である、と言う事と理解して宜しいでしょうか。
今再度常寂光寺の公式HPを確認すると、本堂についてはこう説明されています
「本堂は、第二世通明院日韶上人(日野大納言輝資の息男)代に小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築して本堂としたもの。」
公式HPでは明記されていないですが、常寂光寺は日蓮宗寺院だったんですね。寺名がそれっぽくないので全く存じませんでした。
またご指摘などありましたらよろしくお願い申し上げます。