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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
全然気が付いてなかったのだが、先月辺りから女性宮家を作るかどうかと言うのが話題になってたようで。
 女性宮家に関するニュース(GoogleNews)

そういえば、今を去ること5年前?だったか。その時は女性に皇位継承を認めるかどうかと言うのがかなり大きな話題になったのだが、偶然にも?秋篠宮悠仁親王殿下が誕生して、うやむやになったのだった。

で。
実は日本の歴史に於いて、女帝よりも女性宮家の方がずっと例が少ないのである。
女性天皇は8例(重祚はカウントせず) これに対し 女性宮家は1例しかないのである。


今を去ること140年ほど前。
「桂宮」という宮家があった。実はこの宮家、そもそもは「八条宮家」という名前で、豊臣秀吉の猶子にも一時期なっていた智仁親王が立てた宮家であった。が、その後3回も改名する。こんな宮家はこの1家しかない(多分)。
そしてやたら目鱈継嗣不在による断絶が多い宮家でもあった。

「桂宮」になってから2代目の節仁親王(仁孝天皇の息子)も天保7年(1836年)、4歳で夭折し、また断絶してしまう。

年月は流れ、幕末風雲告げる1863年(文久2年)。
婚約者に死に別れ、長い独身生活を送っていた仁孝天皇皇女・淑子内親王が桂宮家を継ぐことになったのである。淑子内親王34歳。前回の桂宮家断絶から27年後(!)のことである。
淑子内親王は、その後明治維新の後も東京へは転居せず、生涯京都で暮らし、明治14年(1881年)死去。
ちなみに、生涯独身であった。そして桂宮家はまたまたまた継嗣不在で断絶。この後は復活することがなかった。


…この淑子内親王が日本史上、最初で最後のたった一人の女性宮家当主なんですな。
時代が違うとは言え、上記の経緯を見てると、女性宮家が天皇家を安泰にするとはあんまり思えないんですが…。

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