拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「進歩史観」、ご存じでない方は参考 こちら(wikipedia)
通常は共産主義史観として使われることが多いかと思う。
本館の舞台にしている時代が戦国時代~江戸時代初頭と言うこともあり、いろいろな論文を参考に読んでいても
「国人蟠踞の戦国時代から、天下統一された整然とした支配大系の織豊時代→江戸時代へ」
という考え方をふまえたものが多い。そういった考えのもとでは、
豊臣政権、徳川幕府に従い、支配体系を築き上げた大名ほど評価される
のは、まあ当然だし、当たり前だろう。
そして、その考えのもとでは、
豊臣政権・徳川幕府の体制に対応できなかった人は当然低評価、あるいは罵倒される。
それって、一種の進歩史観だと思うわけですよ、私は。
しかし、その時代を生きてきた実際の人の立場に、自分を置き換えて考えてみると、果たして、上記のように簡単に割り切って人を評価できるものか?
たとえば、戦国末期の九州に宇都宮鎮房という国人がいたのだが、豊臣秀吉の九州御動座後、転封をこばんで領主から転落する。その地には秀吉配下の大名・黒田如水+長政親子が封される。当然昔からの領主である宇都宮氏と新領主である黒田氏の間はうまくいかず、最後は宇都宮一族は陰謀にはめられ、一族滅亡する・・・。普通なら宇都宮氏の悲惨な話と感じる方が多いと思うのですが、上記の今学会の主流の史観では
「豊臣政権に従わなかった宇都宮氏がアホ!死んで当然だよね!」
・・・と、極論すればこうなっちゃう。
そんなに簡単に人の判断や人生を割り切れるもんかしら?
本館にもちょっと関係のある例の本で、ゲームで有名なあの方が「豊臣体制に順応しようとしている進歩派」として好感的に書かれ、その兄が「反豊臣体制、既得権益に固執する国人を代表する遅れた人」として罵倒気味に書かれているのは、上記の学会主流の史観のせいでしょう、たぶん。
いや、そればかりではなく、例の本が書かれたときの「既得権益に固執する団体や人がいるから日本は改革に乗り遅れた」というマスコミの煽り?にうまく内容をあわせたのかもしれません。
・・・
そのときの時代のブームに、過去の人を当てはめるのって、いかがな物でしょうか。
一般の人にはそうすることで話が説明し易くなり、一見わかりやすくはなるかも知れないけど、それでその人の本当の姿が分からなくなることがあると思うのです。
また、上の史観で話を進めた結果だと思うのですが、例の本では「琉球出兵」について扱いが軽いことが指摘されてます。・・・そりゃ扱いも軽くなるでしょう。だって、上の史観で話を進めていったら
「琉球はとっとと島津の話を聞いて徳川幕府に服属すべきだった!そうしたらあんなことには・・・」
という結論になってしまいますもの。しかし、その結論では
今の沖縄タブーに引っかかる(爆)
ということで、
「中央体制に順応するため財政を立て直す琉球出兵は大事な事業だけど、あたらずさわらず軽く流しましょう」
・・・こうなるのは編集上、売り上げ上、他諸般の理由(爆)で当然でしょう。
私は、読んだときには「うまく逃げやがって」と思ったのですが(苦笑)、あれに関して沖縄の人から何か苦情とか意見のような物はきたのかしら。あと例の本を書いたお方が沖縄で講演するようなことがあったら、その件に関して沖縄の誰かさん質問してみてくださいな。まあ頭の良い人だからうまく逃げると思うけど(爆)
まあ、学会は考えてみればあくなきポスト抗争の修羅場であって、勝ち組の人しか残ってないから、上のような史観になるのは仕方ない所なんですよね。そういう史観からこぼれた人をさらっていくのが私たちみたいな外野(学会の人から見たら単なる「ゴミ」)の役割なのかな、と思ってます。
<関連?>
・自然破壊を視点に新しい歴史観の創造(義江明夫氏講演)
いろいろと異論もあるかと思う。しかし、「自然との関わりが江戸時代の町人文化では欧米文化と遜色ないレベルに達している」という意見自体が一種の「進歩史観」と言っても間違いないかもしれない。
通常は共産主義史観として使われることが多いかと思う。
本館の舞台にしている時代が戦国時代~江戸時代初頭と言うこともあり、いろいろな論文を参考に読んでいても
「国人蟠踞の戦国時代から、天下統一された整然とした支配大系の織豊時代→江戸時代へ」
という考え方をふまえたものが多い。そういった考えのもとでは、
豊臣政権、徳川幕府に従い、支配体系を築き上げた大名ほど評価される
のは、まあ当然だし、当たり前だろう。
そして、その考えのもとでは、
豊臣政権・徳川幕府の体制に対応できなかった人は当然低評価、あるいは罵倒される。
それって、一種の進歩史観だと思うわけですよ、私は。
しかし、その時代を生きてきた実際の人の立場に、自分を置き換えて考えてみると、果たして、上記のように簡単に割り切って人を評価できるものか?
たとえば、戦国末期の九州に宇都宮鎮房という国人がいたのだが、豊臣秀吉の九州御動座後、転封をこばんで領主から転落する。その地には秀吉配下の大名・黒田如水+長政親子が封される。当然昔からの領主である宇都宮氏と新領主である黒田氏の間はうまくいかず、最後は宇都宮一族は陰謀にはめられ、一族滅亡する・・・。普通なら宇都宮氏の悲惨な話と感じる方が多いと思うのですが、上記の今学会の主流の史観では
「豊臣政権に従わなかった宇都宮氏がアホ!死んで当然だよね!」
・・・と、極論すればこうなっちゃう。
そんなに簡単に人の判断や人生を割り切れるもんかしら?
本館にもちょっと関係のある例の本で、ゲームで有名なあの方が「豊臣体制に順応しようとしている進歩派」として好感的に書かれ、その兄が「反豊臣体制、既得権益に固執する国人を代表する遅れた人」として罵倒気味に書かれているのは、上記の学会主流の史観のせいでしょう、たぶん。
いや、そればかりではなく、例の本が書かれたときの「既得権益に固執する団体や人がいるから日本は改革に乗り遅れた」というマスコミの煽り?にうまく内容をあわせたのかもしれません。
・・・
そのときの時代のブームに、過去の人を当てはめるのって、いかがな物でしょうか。
一般の人にはそうすることで話が説明し易くなり、一見わかりやすくはなるかも知れないけど、それでその人の本当の姿が分からなくなることがあると思うのです。
また、上の史観で話を進めた結果だと思うのですが、例の本では「琉球出兵」について扱いが軽いことが指摘されてます。・・・そりゃ扱いも軽くなるでしょう。だって、上の史観で話を進めていったら
「琉球はとっとと島津の話を聞いて徳川幕府に服属すべきだった!そうしたらあんなことには・・・」
という結論になってしまいますもの。しかし、その結論では
今の沖縄タブーに引っかかる(爆)
ということで、
「中央体制に順応するため財政を立て直す琉球出兵は大事な事業だけど、あたらずさわらず軽く流しましょう」
・・・こうなるのは編集上、売り上げ上、他諸般の理由(爆)で当然でしょう。
私は、読んだときには「うまく逃げやがって」と思ったのですが(苦笑)、あれに関して沖縄の人から何か苦情とか意見のような物はきたのかしら。あと例の本を書いたお方が沖縄で講演するようなことがあったら、その件に関して沖縄の誰かさん質問してみてくださいな。まあ頭の良い人だからうまく逃げると思うけど(爆)
まあ、学会は考えてみればあくなきポスト抗争の修羅場であって、勝ち組の人しか残ってないから、上のような史観になるのは仕方ない所なんですよね。そういう史観からこぼれた人をさらっていくのが私たちみたいな外野(学会の人から見たら単なる「ゴミ」)の役割なのかな、と思ってます。
<関連?>
・自然破壊を視点に新しい歴史観の創造(義江明夫氏講演)
いろいろと異論もあるかと思う。しかし、「自然との関わりが江戸時代の町人文化では欧米文化と遜色ないレベルに達している」という意見自体が一種の「進歩史観」と言っても間違いないかもしれない。
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