拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
拙ブログ関連ネタ こちら
以前、神戸市立博物館所蔵の「南蛮屏風」と言うのをネタにしたときに、この元所蔵者だった池長孟の名前をちらっと出したことがある。
先日、何かの用事でこの池長氏をネットで調べたのだが、まさしく戦前のお大尽だったようである…
何回か結婚されたようなんだが、その妻の一人にあの淀川長治の姉がいたそうである。そしてその新居として建てたのがこの家だとか。
こちら
ちなみに建てられたのは昭和3年(1928年)。世界大恐慌のまっただ中でこの豪邸建てたと言うんですから、生前の池長氏の富豪ぶりがうかがえます。
で、結婚ほやほやでデレデレ状態だった(はずの)池長氏は、長治姉の要望を聞いてダンスホールを造ったりと凝った設計にしたのです が、長治の姉は中々派手な性格で結婚向きじゃなかった女性のようで(^^;)結局数年で離婚に到ったとか云々…
そしてこの豪邸は戦後、池長のコレクションを維持するために華僑系の医師に売却されます。昭和21年(1946年)のことでした。
しかし、それを持ってしても池長のコレクションにかかってくる財産税はGHQ支配下の日本ではうなぎ登りに高騰、弱みにつけ込んで池長のコレクションを買いたたこうと狙ってくる美術品ブローカーも多かったらしく、コレクション散逸を恐れた池長は、結局昭和27年(1952年)にコレクションを神戸市に丸ごと寄贈します。それらを元にして作られたのが神戸市立博物館というわけです。
…で、医者に売却された豪邸のその後ですが
その後も病院として使われていました。
(続きは「つづきはこちら」をクリック)
以前、神戸市立博物館所蔵の「南蛮屏風」と言うのをネタにしたときに、この元所蔵者だった池長孟の名前をちらっと出したことがある。
先日、何かの用事でこの池長氏をネットで調べたのだが、まさしく戦前のお大尽だったようである…
何回か結婚されたようなんだが、その妻の一人にあの淀川長治の姉がいたそうである。そしてその新居として建てたのがこの家だとか。
こちら
ちなみに建てられたのは昭和3年(1928年)。世界大恐慌のまっただ中でこの豪邸建てたと言うんですから、生前の池長氏の富豪ぶりがうかがえます。
で、結婚ほやほやでデレデレ状態だった(はずの)池長氏は、長治姉の要望を聞いてダンスホールを造ったりと凝った設計にしたのです が、長治の姉は中々派手な性格で結婚向きじゃなかった女性のようで(^^;)結局数年で離婚に到ったとか云々…
そしてこの豪邸は戦後、池長のコレクションを維持するために華僑系の医師に売却されます。昭和21年(1946年)のことでした。
しかし、それを持ってしても池長のコレクションにかかってくる財産税はGHQ支配下の日本ではうなぎ登りに高騰、弱みにつけ込んで池長のコレクションを買いたたこうと狙ってくる美術品ブローカーも多かったらしく、コレクション散逸を恐れた池長は、結局昭和27年(1952年)にコレクションを神戸市に丸ごと寄贈します。それらを元にして作られたのが神戸市立博物館というわけです。
…で、医者に売却された豪邸のその後ですが
その後も病院として使われていました。
(続きは「つづきはこちら」をクリック)
平成27年(2015年)1月まで。
実はですな、ばんないこの病院の割と近くに住んでいるのですよ。と言っても電車で何駅か離れてますが、時間にして電車数分徒歩数分で20分もあればたどり着けるかと。
ところが、池長の造った元美術館(現神戸市文書館)は行ったことあるのですが、この豪邸の存在を知ったのは 昨日 だったんです_| ̄|○
ああ、1年違いで、あの阪神大震災すら切り抜けた貴重な建築を永久に見逃す(しかも近所なのに(T∀T))
なお、この建て物は近年「ひょうごの近代住宅100」には選ばれていたのですが、国の登録文化財には指定されていませんでした。こんなすごい建て物なのに意外。また、10年前に経営が華僑系の医師の子孫から別の団体に売却されたのも建物取り壊しに繋がったんじゃないかと推測されます…
在りし日の池長孟邸の姿は以下のブログ/サイトにて
結構有名だったらしく、かなりの写真がヒットします。でも私は知らなかった…。・゚・(つд∩) ・゚・ 。
・近代建築watch
・思いつくまま
・解体直前の旧池長邸
他にも山ほどある写真はこちらから。
ああ、後悔先に立たず、覆水盆に返らず…_| ̄|○
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