拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
とうとつに 夏も近づく八十八夜
CINIIで「島津」で検索していると恐ろしく古い論文に引っかかったのだが
それに「島津忠良公ご愛用のお茶碗」というのがのっていた。
白黒ながら写真も掲載されていたのだが…
どう見ても形が変なのである
というか、この時代の日本の茶碗ではないことは確実
あえていうとこの時代の中国や朝鮮にもこういう茶碗無いと思うぞ!ヾ(^^;)
そうだな…ダ○ソーで「これちょっと使い勝手悪そうだよなあ」という湯呑みにこういうのがあったような(をーい!)
まあ、忠良の食器と言えばこういう物も「新発見」されたそうなので、もしかしたらもしかするの…か…な???
※この茶碗について何かご存じの方の情報お待ちしてます、かなり真面目に。
参考ネタ 茶道嫌いじゃ忠良おじいちゃん
CINIIで「島津」で検索していると恐ろしく古い論文に引っかかったのだが
それに「島津忠良公ご愛用のお茶碗」というのがのっていた。
白黒ながら写真も掲載されていたのだが…
どう見ても形が変なのである
というか、この時代の日本の茶碗ではないことは確実
あえていうとこの時代の中国や朝鮮にもこういう茶碗無いと思うぞ!ヾ(^^;)
そうだな…ダ○ソーで「これちょっと使い勝手悪そうだよなあ」という湯呑みにこういうのがあったような(をーい!)
まあ、忠良の食器と言えばこういう物も「新発見」されたそうなので、もしかしたらもしかするの…か…な???
※この茶碗について何かご存じの方の情報お待ちしてます、かなり真面目に。
参考ネタ 茶道嫌いじゃ忠良おじいちゃん
実は
京都の実家に帰省したときに地元紙の連載を読んでいたら、小川流家元の小川後楽氏が日本の煎茶の歴史をずっと研究されているようなのだが、中国で煎茶が抹茶を駆逐した時期(1391年の団茶禁止令)と、日本に煎茶が伝わったと言われる時期(通説では隠元禅師が渡来した1656年以降)に200年ほどのタイムラグがあるのだそうな。
後楽氏の説では、実はもっと早くに日本に煎茶は伝わっていたとしたいようなのだが、それを積極的に肯定できる物的史料も文章史料も現状ではかなり厳しい様子らしい。
もしかすると、この島津忠良の茶碗がそれのミッシングリンクを埋める物になるか…
と思ったが、どうも写真で見る限りでは形が(^^;)
京都の実家に帰省したときに地元紙の連載を読んでいたら、小川流家元の小川後楽氏が日本の煎茶の歴史をずっと研究されているようなのだが、中国で煎茶が抹茶を駆逐した時期(1391年の団茶禁止令)と、日本に煎茶が伝わったと言われる時期(通説では隠元禅師が渡来した1656年以降)に200年ほどのタイムラグがあるのだそうな。
後楽氏の説では、実はもっと早くに日本に煎茶は伝わっていたとしたいようなのだが、それを積極的に肯定できる物的史料も文章史料も現状ではかなり厳しい様子らしい。
もしかすると、この島津忠良の茶碗がそれのミッシングリンクを埋める物になるか…
と思ったが、どうも写真で見る限りでは形が(^^;)
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サイズが分からないと
どうもなんとも・・・。
煎茶は門外漢ながら、天目台の形が
この時代にしてはちょっと・・な
感もありですし。
忠良が煎茶をやっていたら、それなりに
家中にも伝わっていたでしょうし
ならば(中務)家久が光秀相手に
(こちらは茶道とはいえ)
「不調法ゆえ白湯でよかです」と言う事も
なかった気もしますが・・。
そういえば義久公から拝領(と伝えられる)の
御抹茶碗は肉眼で拝見できました。
煎茶は門外漢ながら、天目台の形が
この時代にしてはちょっと・・な
感もありですし。
忠良が煎茶をやっていたら、それなりに
家中にも伝わっていたでしょうし
ならば(中務)家久が光秀相手に
(こちらは茶道とはいえ)
「不調法ゆえ白湯でよかです」と言う事も
なかった気もしますが・・。
そういえば義久公から拝領(と伝えられる)の
御抹茶碗は肉眼で拝見できました。
サイズ
コメントありがとうございます。
論文を読み返してみたのですが、やはりサイズについては全く触れてませんでした。他の茶碗については書いてあったりするので、謎は深まるばかりです。
やはり気になるのは形で、『煎茶入門』(淡交社)『煎茶の世界』(雄山閣)等で読んだ限りの”煎茶の歴史”によれば、煎茶茶碗というのはかなり小さな物から始まったようで、というか今でも正式なお手前で使う物はお酒のおちょこのように小さいです。日本の煎茶の元となった中国茶でも、おちょこのような茶碗を使っているのをTV等で拝見されたことがあるかと思います。
で、この日新斎ご愛用の茶碗を見てると、どうも写真で見る限りではそこまで小さくなさそうだし、怪しいんですよねえ(^^;)
>義久公から拝領(と伝えられる)の
御抹茶碗は肉眼で拝見できました。
それはうらやましい。どちらに所蔵されている物でしょうか?
論文を読み返してみたのですが、やはりサイズについては全く触れてませんでした。他の茶碗については書いてあったりするので、謎は深まるばかりです。
やはり気になるのは形で、『煎茶入門』(淡交社)『煎茶の世界』(雄山閣)等で読んだ限りの”煎茶の歴史”によれば、煎茶茶碗というのはかなり小さな物から始まったようで、というか今でも正式なお手前で使う物はお酒のおちょこのように小さいです。日本の煎茶の元となった中国茶でも、おちょこのような茶碗を使っているのをTV等で拝見されたことがあるかと思います。
で、この日新斎ご愛用の茶碗を見てると、どうも写真で見る限りではそこまで小さくなさそうだし、怪しいんですよねえ(^^;)
>義久公から拝領(と伝えられる)の
御抹茶碗は肉眼で拝見できました。
それはうらやましい。どちらに所蔵されている物でしょうか?