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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
さて、前回莞爾を
ある意味運命に翻弄された人物
と評してみたのだが、
どうもほんとにそうとしか言えない事件があったらしい。
さて、今回の手記で注目すべき事実が語られています。それは何と、陸軍大臣官邸を占拠した彼らは、殺人リストNO2の「見当たり次第、殺害すべき者」の軍人筆頭に石原莞爾大佐を挙げ、続いて根本 博中佐、武藤 章中佐、片倉 衷(ただし)少佐、(鉛筆書きで辻 政信大尉)の5名を指名していたことです。まさに、山本 又少尉は、その殺害任務を負っていたわけで、このうち片倉 衷少佐が磯部浅一によって頭をピストルで撃たれて重傷を負ったことは、よく知られています。

事件当日(26日午前)、石原莞爾大佐(参謀本部作戦課長、47歳)がやってきた場面は、こう記されています。

「陸相官邸の表門で、村中、磯部、竹嶌、山本は頑張って特定人物が到着するのを待っていた。
 歩哨線の前に、マントを着て悠々と闊歩してくる一人の将校がいた。私が手を挙げて歩哨線で止めさせた。その将校もまた手を挙げた。私が近づいて誰何(すいか)した。
『どなたでしょうか』
『石原大佐』とマントの将校は答える。
私は思った。うん、これが石原大佐か。見当たり次第、殺害すべき人物だ。石原大佐が言う。
『このままではみっともない。君らの言うことを聞く』
大佐はまだ原隊よりの補給も、陸軍大臣の告示のことも知らないのか。しかも大佐は陸軍部内で第一の知能大戦略家である。法華経の信仰も極めて深い。私は考えた。この人を殺すべきではない。君たちの言うことを聞く、と言う。よし、この人もまた味方としよう。
陸相官邸に大佐を案内した。」

「表門に来る途中、竹嶌中尉が石原大佐を見て、厳粛な敬礼をした。大佐は満洲事変の時、中佐参謀として大いなる活動をされた人であった。竹嶌中尉もまたそこに従軍したので、よく知っていた。二人で邸内に案内した。村中、磯部、香田と会う。石原大佐が言った。『負けた』。大佐もまた国家革新を主張する大重鎮であり、大先覚者である。ただし、我らとその信念で異なるところがある。大佐は玄関の白雪が鮮血に染まっているのに驚いて訊いた。
『誰をやったんだ、誰をやったんだ』
山本が『片倉少佐』と答えると、驚いて黙ってしまった。」

そして、この山本 又少尉が、軍の指揮官・安藤輝三大尉(31歳)に伝達に行った時のことが記されています。「『石原さんが来ましたか』と大尉が言う。
『来ました』と私が答えると、大尉がこう語った。
『石原さんが来たので、陸相官邸には行ってはいけないと言うと、大佐は自分の首をたたいて、“これか?”とうなづき、一笑して立ち去りました』
石原大佐は「見当たり次第、殺害すべき人」だ。自分の首をたたいたというのは、これを察知していたのだ。しかも悠々と単独で陸相官邸に来たのだ。常人ではとてもできまい。大佐は『知』の人であるとともに、『胆』の人でもあるのか。維新の道の上では、敵側の人ではあるが、殺すには忍びなかったと私が言うと、安藤大尉もまた、『それは良かったです』と答えた。」

次第に形勢逆転の様子(2月28日午前)が、憲兵司令部でのやり取りから読み取れます。

「満井中佐と石原大佐に面会を申し込んだ。やがて石原大佐が来た。
『大佐殿は法華経へのご信心がまことに深いと承ります。ありがたいことであります。つきましては、今朝からしきりと大勅渙発と討伐の情報二つが飛んでいます。どっちが本当なのですか。どうか大勅渙発の奏請に努力なさって下さい。大佐殿は、このことについて非常に努力なさっておられると承ります』
と私が言うと、石原大佐は、
『いや微力で、錦旗に手向かえば、討伐する』
と多くは語らず、早々に立ち去ってしまった。形勢は読めた。」

2月28日午後、討伐が明白となった後の警備司令部での様子は、次のように描かれています。

「石原大佐、満井中佐は扉の外にいた。
磯部が言った。
『大勅案はと゜うなりました。討伐するんですか』
満井中佐は泣きながら、こう言った。
『後は良くする、後は良くなる』
石原大佐もまた泣いていた。
磯部は討伐が決定したと判断したものの、態度は揺るがず、平常と変わりなかった。
石原大佐は言った。
『磯部は偉いやつだ』
簡単なやり取りをして辞去した。」

実際の討伐命令は28日の午前5時過ぎに発令されたことが今日知られていますが、山本少尉は他の箇所で、「幕僚の多くが討伐を云々しているのを、石原大佐が大いに鎮撫したと聞いた。本当の討伐ではないのだ」と書いており、事実、29日、「皇軍相撃つことなく解決しましたので、結局、兵を原隊に帰すことに一決し、それから兵を全部外に出して整列叉銃(さじゅう)し、当時、石原莞爾の代理と称する参謀中佐が来ましたので、その方に全部処置を一任することになり、将校も一同屋外に出ました」(供述調書)と、事件の収束まで石原大佐が関わっていたことを明かしています。

この収拾案については、解説を書いた保阪正康氏は、橋本欣五郎大佐が石原大佐に面談を求め、大赦を条件に反乱軍を降伏させる「維新政府詔書案」を提示し、石原大佐も賛同し、行動したものの、結局、首班の首相を誰にするかで折り合いがつかなかったことを紹介しています。

保阪氏の解説で、もう一つ明らかとなったのは、この山本 又少尉は、田中智学の「国柱会」の入信者であったことです。噂では聞いていた石原大佐との初対面が事件当日であったということ、それに安藤輝三大尉も法華信者だったことを考え併せると、「生か死か」の極限状況で目に見えぬ「法護」があったとしか言いようがありません。
http://free2.nazca.co.jp/mk15/taku123/
それにしても軍内での国柱会の浸透ぶりには驚きます。

なお、莞爾はこの前にあった永田鉄山殺害事件で、犯人の相沢三郎に指名されて何度も拘束中の相沢に会いにいっています。どこに書いてあったか忘れましたが、相沢の弁護をする気にまでなっていたらしいとか。
ところが、その当の相沢の莞爾評は
石原大佐も単なる幕僚ではなかった。 いや典型的な立派な幕僚でしたが、彼は戦勝のための作戦行動には、まず幕僚の心を掴むことが先決であることを意識しなかった。 この点永田が新軍閥を作った才智には及ばなかった。 一人よがりの英雄気取りではだめです。
http://www.c20.jp/p/ikanji.html
うーーーむ、結構手厳しい。
たしかに梁山泊体質の莞爾が結局軍閥を作れなかったというのは謎の一つです。莞爾は目上の者に対して厳しく、時に罵倒する悪癖があって、それが原因の一つであることは間違いないでしょうが。

さて、上記の文章が出てくる本とは
書名は山本又著 『二・二六事件 蹶起将校 最後の手記』(文藝春秋社、定価1500円+税)です。

山本 又(また)とは、昭和11年(1936年)の2・26事件で決起した青年将校(少尉)の一人で、20代~30代が多かった中、彼は最年長の42歳。実際には東京・府中の中学体育教師だったので民間人でしたが、「首謀者」の磯部浅一(あさいち、31歳)・元陸軍主計官と同志的関係を結び、当日に決起したわけです。

事件収束(逮捕)直前の2月29日、彼は一人山王ホテルを抜け出し、暗殺した重臣らを供養するため日蓮宗の総本山・身延山に逃避し、3月4日に自首して裁判を受けるわけですが、その途次、安藤輝三・大尉から「2・26日本革命史を書き残してくれ」と頼まれ、獄中で手記を綴るのでした。手記は収監直後の3月から、昭和15年(1940年)の「紀元2600年」の特赦によって禁固10年から5年で釈放されるまで約5年ほど続きました。

それが5年ほど前に遺族の物置から発見され、今年、原文と共に現代語訳された形で77年ぶりに日の目を見たというわけです。2・26事件の関係記録はほとんど出し尽くしているので、これが新資料発掘の「最後」と言うわけです。

しかし上記のエピソードを見ると、莞爾が真崎甚三郎と非常に仲が悪かった(と言うより小馬鹿にしていた(?)のは非常に納得がいきます。結果的に保身に走って子分を見捨てたのが許せなかったんでしょうな。

おまけ

なお、真崎の盟友・荒木貞夫とも莞爾は仲悪かったのですが、その荒木の莞爾評
石原君は、一言にしていえば天才肌の男である。そして純である。 天才が働き、したがって転換が早い。自分は石原君を評して稲妻のようだという。 今右かと思うと、一たんこうと考えればたちまち左に閃く。 天才の然らしむるところである。それに物の表現の仕方が普通ではない。 特殊の表現を用いる。裏をいうんだ。それを断定的に鋭くいうから、きくものは面食らう。 怒っているようで怒らず、からかうかと思うと、からかってない。 実に端倪すべからざるものがある。石原君のことを書いた本があるが、あれは却って石原君を傷つけている。 石原君はもっと大きい。彼にはけちな考えはない。
http://www.c20.jp/p/ikanji.html
うーむ。どういう事なんだ、教えれ荒木ヾ(--;)
※なお、この荒木貞夫という人は亡くなるときに佐藤栄作に「これからは五ヶ条のご誓文を基本として云々」と言うとんでもない遺言を残したという人物です。見ように寄れば莞爾よりもデンパなのに、何か普通に理解できるような人のような気がするのは何ででしょうか(^^;)

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