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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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石原莞爾は昭和16年(1941年)、予備役編入(彼の場合は事実上のクビ)にされて、その後、当時の立命館総長だった中川小十郎の要請により、表題の立命館大学国防学研究所の所長となります。
…が、憲兵のいろいろな妨害がすごくて、1年ほどで退職に追い込まれたのも有名な話。そこまでの嫌がらせって東条英機って…

さて本題。
周りにいろんな人が寄ってきた梁山泊体質の莞爾でしたが、流石に中川小十郎は超大物です。何しろ最後の元老・西園寺公望の側近だったのですから。どんな御縁があったのでしょ。
これに触れているサイトはなかったのですが、もう消えてしまったyahooの掲示板にこう言うのがありました。コピペしといてよかったー
立命館大学との関係 2009/ 9/ 1 11:06 [ No.95 / 484 ]
予備役編入後の石原は、ごく短期間ながら、立命館大学にて国防学研究所の所長をつとめることになります。
立命館大学との結び付きは、舞鶴要塞司令官であった時期、日満高等工科学校設立の協力要請を受けたことに始まり、昭和15年(1940)には『世界最終戦争論』を立命館出版部から刊行しています。
あるいは、第16師団長という寄り道(?)が無ければ、もっと早い段階で立命館大学の講師に転身していたのではないか、とも考えられます。

おまけに、ここの教授に迎えられたもう一人の予備役組に「酒井鎬次」と言う人がいます。この人もネットで検索するとさっぱり情報がなかったのですが、やはりyahoo掲示板にありました。
酒井鎬次とチャハル作戦 2009/ 8/25 0:22 [ No.94 / 484 ]
東条英機の軍歴において、チャハル作戦は重要な意味を持ったと思われますが、東条とはまた別の意味でチャハル作戦が転機となった人物もいます。
日本初の機械化部隊とされる独立混成第一旅団を指揮した酒井鎬次です。

チャハル作戦において、酒井の部隊は東条兵団に編入されていたのですが、東条・酒井の意見対立などから、十分な戦果を挙げられず、これがシコリとなったのか、東条の陸相時代に予備役編入と相成りました。

なお、酒井鎬次は戦史研究にも造詣が深く、失脚後は立命館大学にて、石原莞爾とともに国防学講座の講師をつとめたこともありました。
うーむ、東条嫌い仲間だったのか…

おまけ
立命館にとって、やはりこの国防学研究所って黒歴史なんだろうか(^^;)
だって公式HP検索してもほとんど情報ないし…

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