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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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前の話はこちら



あ”~~~~~~~~~~~気になる
何とか前知識無しで読めるような本も数冊見つけたけど、今入手すると年度末に響くヾ(--;)がまんがまん

ネットでいろいろ更に調べてみた
・カメラ好き。実は日本に一番最初にライカを持ってきたのが彼らしい。
・ドイツ駐在中、同僚である武藤章が法華経に興味を持ったと知るや、日本にいる嫁に「武藤の妻を洗脳しろに近づいて法華経の教えを教えるように」と連絡した…嫌すぎるこんな奴と仲良くしたくないヾ(--;)
・そのドイツ駐在中に関東大震災。他の同僚は妻子から手紙が来るのに、莞爾には来なかった。泣くほどに心配したらしい。なお莞爾が毎日のように手紙を送っていたのに対し妻は筆無精だったらしく(と言うか莞爾が筆まめすぎ?)、返信が少ない妻に切れて「日本に帰って何かあっても知らないから!」とまですねた。あんたは島津義弘か。
・死んだときにはバラックのような小屋に住んでいた(ネット上にも写真有り)間取りは六畳と4.5畳。昭和50年代に老朽化のために撤去されるまで残っていた。
・文藝春秋2013年1月号に掲載された生前を知っている人の回想によると「将軍(※信望者にはこう呼ばれていた)はとってもお茶目でシャイ」だったとのこと。あの東条英機を捕まえて「陸大留年したクセにバ~カバ~カ」と言っていた男がシャイとはとても思わんがヾ(--;)お茶目なのは残っている写真の顔見ても分かる。子供顔だもんね、石原。
・その頭はとても大きく、子供の頃に付いたあだ名が「かぼちゃ」(…)
・家族に関しては不遇(前回も少し触れたが)。兄2人は莞爾が生まれたときには既に夭折していた。妹が2人いたがこれまた夭折。弟2人は成人するが、一人(二郎)は海軍士官になった後、勤務中の飛行機事故で早世。一番長生きしたのが末弟・六郎。莞爾死後も莞爾が残した農園を守った。
・前回気になっていた石原莞爾の子供の件。ライバル・東条英機のwikipediaなどはプライバシー侵害なほどに書いてあるが、莞爾の項目は全く書いてない。ネットでは「TBSの元社長が子孫」と言う話もあったが…やはりそれは眉唾だったようだ。http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10779/1/2009202098.pdf  http://www.geocities.jp/heiwa_ishiwara_kanji/shiryo8.htm どこかで見かけたが、莞爾は士官学校時代に落馬し、その時に「あそこ」を負傷し、満州時代には歩行に困難を来すほどだったという。なお、前述した弟・六郎氏ももしかしたら終生独身だったかと推測(上のリンク2番目)
・莞爾の最初の名前は「権太郎」…ごんたろう…ごんた…げほげほ(^^;)

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