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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
検索して、この本に今田の話が一か所だけ出てくるというので借りてみました。
『文藝春秋』のバックナンバーから、その時代の世相を代表する注目記事のみピックアップしたという本です。その当時掲載された記事もあれば、当事者が後になってから書いた記事もあります。

さて

ものすごくぶっとい本じゃん_| ̄|○
しかも人名索引ついてない(涙)目次から見て、適当にありそうな記事を順番に読んでいきます。


…まさか、これか?

どうもそのまさかのようだ。
また私は昭和十年四月十日甲府市旅館談露館にて、かつて参謀本部にて私の配下に属し、当時甲府連隊の大隊長たりし事情通の今田新太郎少佐より同様の諷示を受けたことがある。

「暗黒裁判二.二六事件」真崎甚三郎 
p.312
おい待て、今田が甲府連隊にいた頃というと…前のこのエントリで紹介した、この事件の時のことか?
今田新太郎大尉(張学良補佐役として在満当時、石原と共に満州事変密造計画に参画し、後石原作戦課長の下に勤務した有為の将校)が甲府の歩兵連隊に勤務していたとき、真崎大将が特命検閲使として来府の際、同連隊の将校が駅頭に検閲使を出迎えた。大将は、将校一同の敬礼を受けると「今田大尉はいるか」と言葉をかけ、今田は満座の中でその肩をたたかれ、一般将校の注目を浴びた。これなどは公私混同も甚だしく、熱血漢今田にとっても迷惑至極であったと言われる。
…前も指摘したが、横山臣平の本は、かなり眉唾してかかったほうが良さそうだ…。

それにしても、今田が真崎の部下だった事ってあったかな?…ああ、確かに参謀本部支那班にいたとき、途中で参謀総長と次長が替わったんだったかな(総長:金谷範三→閑院宮戴仁親王、次長:二宮治重→真崎甚三郎)。
ちなみにこの人事は皇道派の専横人事と言われ、陸軍内は勿論、世間一般からも皇道派がシカトされる原因になりました…。(参考拙ブログこちら

※関連ネタ こちら


おまけ
この本、他の記事もかなり面白いです。今田に興味ない人でも、この時代に関心ある人なら面白く読めると思う。
・「太平洋戦争」を書く前に:昭和5年12月、直木三十五が、日米対立が進んだら?と言う設定に基づいたIF小説「太平洋戦争」(!)を連載する前座として書いた随筆…なんだが、ここに書いてること結構当たってる…。
・「満蒙と我が特殊権益座談会」:昭和6年10月号、風雲急を告げる満州情勢について、国会議員からは森恪、中野正剛、陸軍からは建川美次、などなどかなり濃いメンバーによる座談会。…で、この座談会が掲載されたとほぼ同時に満州事変が勃発したのであった(○。○)
・「平和への戦い」:陸軍中野学校の創始者で、今田の陸士同期生でもある岩畔豪雄が、昭和15年末~昭和16年にかけておこなった日米和平交渉の裏話を綴った回想録(昭和41年8月号)。岩畔も「近衛(文麿)の馬鹿野郎」という結論に至った点では、トラウトマン工作の今田と一致したようだヾ(--;)
他有末精三が敗戦後米軍の受け入れの担当になったのだが、いきなり米兵のご乱行(レイプとか…)が頻発するので猛抗議したら「だって南方の島に配置されたりとか鬱憤たまってたんだもんこれくらい大目にみてよ」と回答され唖然としたとか

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