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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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こちらのエントリにて「辻ーんが”潜行三千里”から極秘帰国した後、今田新太郎を頼ったところ、うっかり某田中隆吉元少将ヾ(--;)からGHQに密告されてやばかった話」を紹介させて頂いた。

念のため再度調べたところ、確かに『文藝春秋』1955年4月号に「沈難深苦の十年」という記事があった。当該箇所についても前回紹介したのと全く同文であることも確認した。

ところが、この記事。ほかにも興味深い話が紹介されていた。
今田新太郎が神兵隊事件に関係したとして、聴取逃れのために?何故か辻政信をおまけに付けて新疆偵察に出されたという話はこちらでしたことがあるが、それに関する詳しい話が載っていたのである。辻政信談ゆえ多少の演出が入っている可能性もあるが、そのまま紹介してみる。
私が昭和八年、参謀本部にいるとき、中国の新疆省方面の偵察を命ぜられ、中国人の通訳二人と私、それに今田新太郎氏と坂田繁木氏当時いずれも大尉中尉の青年将校だが、その五人で上海からドイツの飛行機に乗って飛立った。ところが、蘭州まで行ったときに共産党につかまり、一週間監禁され、危うく殺されそうな目に会った。その時に同行した中国人通訳の一人が陶孝潔(陶淵明八十三代目の子孫である)という非常な親日家であり、陶君のお陰でようやく助かった。無事に出されて、さらに粛州へ入り、今度はフイフイ教徒に助けられたものの、ついに新疆省には入れず、帰途についた。
こんどは六盤山系の上空で猛吹雪に襲われた。その時の飛行機は百七十馬力の単発で計器も無し、もういかんと思って覚悟を決めた私は、飛行機の中で遺言を書いた。その末尾に「任務を受け、目的を達成せずに死ぬのは残念だが、我々の遺族は国家で救っていただける。しかし同行した二人の中国人は、恐らく売国奴として冷ややかな目で見られるだろう。どうか日本の陸軍の力で、二人の中国人の遺族を、永久に救って下さい。これが死に臨んでの陸軍に対する私のおねがいです」と言う意味のことを書いた。
陶君はすでに死を覚悟し、墜落して死ぬのは痛いから、睡眠薬を飲んで死のう、ということで、薬を飲みかけていたが、私が遺言を書き終えるのを見て、
「日記ですか。見せてください」
と頼むので、見せてやった。
すると、陶君は読み終って、最後の一句を読んだとき、声を挙げて泣き、わたしにとりすがって、
「これほどまでにわれわれのことを考えてくれるのか。もう、いつ死んでも怖くないから、薬を飲むのはやめます」
と。-だが、奇跡的に助かって、南京に辿りつくことができた。
p.227~228
※原文は旧字体旧仮名遣いだが、新字体に改めた


これが、聴取逃れのためにちょっと出かけてらっしゃい…という出張なのか???
「ついでにお前ら死んでこいや」と言う意図があるようにも見えるのだが…
あ、でも辻はここで死んだ方がこの後の日本のためにはよかt(以下自粛)
でも今田さんを巻き添えにされるのは困る、私のネタ的に(ヲイ)

<当てにならない注記>
・坂田繁木:正しくは「佐方繁木」(1899年10月1日~1954年4月8日)熊本県出身。騎兵将校。陸軍士官学校32期、陸軍大学校40期(参考文献『日本陸軍将官辞典』)
・大尉中尉の青年将校:当時今田は37歳。昭和8年(1933年)の常識では青年かどうか怪しいような
・フイフイ教:イスラム教のことを戦前の日本ではこうも言ったらしい
・六盤山系:こちら参照

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