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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
唐突ですが、今日は塙保己一の誕生日だそうで、

生きてたら271歳だそうですよ~ヾ(^^;)



では本題。

以前、拙ブログでは
拙ブログ的には表題にもした「若杉参謀」とあの熱すぎる男?津野田少佐の「東條英機暗殺未遂事件」での絡みでちょっと出てこられました。あの事件に関して三笠宮様の証言はころころ変わっているようなんですが、結局真相は黙ったままあの世に行かれたような気がします。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/1018/
と書いていた

…のですが。

何と三笠宮殿下が亡くなられて2年目の今になって、ご自身による証言が登場。
実際のインタビューは2006年のことだそうですので、御年90歳の時の証言になります。
それが明らかにされた本がこれ→

以下、津野田事件に関する証言をピックアップ。
※ご興味のある方は「続きはこちら」をクリックお願いします<(_ _)>





(『わが東條英機暗殺計画』で三笠宮が自ら津野田から計画書を受け取ったという記述に関して)
-(加藤康男氏<以下の引用では名称略>)「計画書」を直接殿下に手渡されたのかどうか、津野田参謀は殿下に渡されたと。あったのか、なかったのか、その点は如何でしょうか
三笠宮「ちょっと記憶にないのですよ。その、ちょっと、それは。本当に記憶はないんで。無かったとも言い切れないし…。」
(平成18年12月5日)
p.15
「内容は、暗殺の実行などに関わる物ではなく、計画への理解、賛同を求める物だった」
(同前)
p.16
(津野田との関係について)
-津野田知重の兄が事件の全貌を弟からの聞き書きで出版しました。それによりますと、殿下と津野田少佐はかなり親しかった、とされますが、その点は如何でしょうか。
殿下「彼が陸士で二期後輩ですが、同じ参謀でしたからけっこう親しかったです。」
-南京ではどうでしたか。
殿下「南京でも親しい。南京の私の宿舎へ一緒に来て、食事(給食)をともにしたこともありますけど。」
(以下略)
(平成18年12月5日)
p.61~62
(津野田事件の処理に深く関わった黒崎貞明について)
-津野田兄の著作(※『わが東條英機暗殺計画』のこと)だけでは、殿下と黒崎さんがどの程度お親しかったのか分かりにくいのですが、その点は如何でしょうか。
殿下「陸大を昭和16年12月に卒業じた55期の同期生で、かなり親しくしていたんです。彼が憲兵に関係する部署にいた(※この当時陸軍省兵務局防衛課長)ので(この件を)相談したわけですね。」
(平成18年12月5日)
p.152
(津野田が友人・久米少佐を介して伝言を頼んだという、久米の姉・三笠宮家の女中(老女)について)
-津野田の友人の姉という方が殿下のお屋敷で働いていたと言うことですが、その方から何か伝言を聞かれたというご記憶はございますか。
殿下「それは老女志村、と言う女中頭をしていた女性だと思うんです。いわばハウスキパーみたいな仕事をしていたわけですが、そんな重大な機密の話を出来る様な立場ではないんですが。志村の記憶はありますが、そんな事をしなくても久米少佐自身が大本営に出入りしている身分ですから、直接私に話をすれば良いんでね。そういう事実は絶対になかったと思いますがね。」
(平成18年12月5日)
p.172
(昭和19年9月21日に三笠宮が参謀本部から機甲本部付に”左遷”された件)
-殿下はその人事を左遷とは思われませんでしたか。異動の原因はやはり文書を預かられたからではないのでしょうか。
殿下「黒崎との話で津野田が捕まった、そこでその責任が生じて私が左遷されたと言うことではないのです。左遷と言うより、未然に防げなかったと言うことで私の方から大本営参謀を辞退して陸軍機甲本部付と言うことにしてもらったわけです。文書を預かったかどうかが問題ではなかったと思っております。」
-大本営情報班からの参謀からの異動ですから、傍目には左遷のように思われかねません。
殿下「まあ、表面から見たら左遷なんですけれども。自分から申し上げての異動ですから、まあねえ…。
 それから、津野田兄の本には、逮捕された牛島が計画漏洩を不審に思っていたのは獄中で「三笠宮の腰砕けによってと知った」と書かれていますが、腰砕けではなく、私は津野田が本当に東條暗殺に踏み切るとは考えていなかったからなのです。」
(平成18年11月14日)
p.191
なおこれらの証言ですが、言った後に三笠宮自身は非常に後悔したようで、著者の加藤氏に何度も口止めをします(p.21~22)
そのため、発言の公開は三笠宮死後2年経った今年になったのでした。

著者の加藤氏自体は
「三笠宮は実際に津野田の陰謀を知っていたのだが、東條暗殺計画を昭和天皇の実弟が知っていたが黙っていたなると一大事であり、それを知った貞明皇后の叱責により、事件のもみ消しを黒崎貞明に依頼、ところが黒崎の些細なミスから東條にこの陰謀がばれることとなり、津野田等に対する処分が大きな物となった。
しかし、三笠宮はこの事件のもみ消しに母の貞明皇后が関わっていることを知られたくないために、証言をころころ変えたのではないか?」
と考えているようです。私も同意します。



この本には、三笠宮がかなり辻政信を買っていたという、余り見たくないヾ(^^;)証言(p.49~51)とか、日中戦争における「日本軍の暴行はどれくらいあったのか」証言?(p.225~228)などもあり、日本の戦中に興味のある方は一読した方がよい内容かと。

しかし宮様
辻参謀は戦争を止めるため重慶の蒋介石に単独で会見しようと試みた。だが中央の許可が下りず実行できなかったが、もし行っていれば、ずいぶんと戦局は変わっていただろうと思いますよ。
(平成19年1月23日)
p.50
この作戦、今田閣下の同期の今井武夫とか、当時の中国方面総司令官で宮様の母上の信任も厚かったという畑俊六がボロクソにけなしていたという ア レ か…ヾ(^^;)

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