拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
予告はこちら
拝見させて頂きました。
感想を箇条書きにて。
・予想はしていたが、鹿児島城は最初15分ぐらいだけだった(^^;)
・で、その次は出水の麓。この辺も予想通りだった…
・未だに「関ヶ原合戦以来の怨念が外城制度を作り、厳しい関所を作り、明治維新につながった」という伝説を信じている人が多いのですかね、鹿児島では いや一般ピープルもそうか…
・「島津は豊臣秀吉に降伏した後も藩人口の1/4にふくれあがった武士を減らさず敵に備えた」とか言っていたような気がするのだが…それ誤解を招くような文章のような気がする 敵に備えたわけでも何でもなくて諸般の事情でリストラするきっかけを失っただけのように思うんですが…
・示現流と自顕流の違いが分かってすっきり。
・仙厳園の菊人形展に出た斉彬公人形の顔に爆笑。あれ高橋英樹そのまんまやん(^^;)
・その仙厳園の創設者として、例の微妙な島津光久公肖像?を出しているのだが、尚古集成館的にはアレで固定化したいのだろうか。アレって、いわば「小学校の卒業写真で病欠した人だけ右上に別に写したような物」と同じもんだと思っているのだが。
・番組恒例のグルメコーナーでは熊襲亭が登場。しかし「正調さつま料理」とはなんぞや。まあ、「じゃあ正調の京料理がどんなもんか説明してみろ」と言われても困る私ではありますが。
・歴史監修は原口泉氏でした。
で、予告時には言ってなかったと思うのですが
今回の放送は何と前編であることが判明。
来週(1/23)に後編放送予定です。
来週のネタは
・薩摩切り子
・郷中教育
・桜島
だそうで。
他、ちょっと思いついた疑問など
拝見させて頂きました。
感想を箇条書きにて。
・予想はしていたが、鹿児島城は最初15分ぐらいだけだった(^^;)
・で、その次は出水の麓。この辺も予想通りだった…
・未だに「関ヶ原合戦以来の怨念が外城制度を作り、厳しい関所を作り、明治維新につながった」という伝説を信じている人が多いのですかね、鹿児島では いや一般ピープルもそうか…
・「島津は豊臣秀吉に降伏した後も藩人口の1/4にふくれあがった武士を減らさず敵に備えた」とか言っていたような気がするのだが…それ誤解を招くような文章のような気がする 敵に備えたわけでも何でもなくて諸般の事情でリストラするきっかけを失っただけのように思うんですが…
・示現流と自顕流の違いが分かってすっきり。
・仙厳園の菊人形展に出た斉彬公人形の顔に爆笑。あれ高橋英樹そのまんまやん(^^;)
・その仙厳園の創設者として、例の微妙な島津光久公肖像?を出しているのだが、尚古集成館的にはアレで固定化したいのだろうか。アレって、いわば「小学校の卒業写真で病欠した人だけ右上に別に写したような物」と同じもんだと思っているのだが。
・番組恒例のグルメコーナーでは熊襲亭が登場。しかし「正調さつま料理」とはなんぞや。まあ、「じゃあ正調の京料理がどんなもんか説明してみろ」と言われても困る私ではありますが。
・歴史監修は原口泉氏でした。
で、予告時には言ってなかったと思うのですが
今回の放送は何と前編であることが判明。
来週(1/23)に後編放送予定です。
来週のネタは
・薩摩切り子
・郷中教育
・桜島
だそうで。
他、ちょっと思いついた疑問など
今回の放送では、「西南戦争で鹿児島城石垣に残った弾痕」が紹介されていた。
私が気になったのは弾痕のすごさ…な訳が無くて(^^;)、石垣そのもの。
前から写真や、ネットで検索したときに少し気になっていたのだが、今回の放送で改めて確認して気になった。
一般的に日本式城郭の石垣は
野面積み→打ち込みハギ→切り込みハギ
と言う形式で進化していったとされる。もちろん技術的に一番面倒なのが「切り込みハギ」で、これで石垣を整えているのは江戸城とか名古屋城とか、いわゆる徳川幕府直轄の目玉となる城が多いように思う。
しかし、鹿児島城の石垣も今回の放送を見た限りでは切り込みハギなのではないだろうか。が、その一方で引っかかるのが、そもそも島津氏配下の城をはじめとして南九州の城郭は石垣を持ってない土塁だけの城が普通だと言うこと。つまり、土塁ばかりの城しか作ってないところに、いきなり登場したのが鹿児島城という事になる。しかもその石垣たるや最新技術の切り込みハギ。これはいったい何を意味するのか…
(おまけ)
こっちの方が本題かも知れない(^^;)
かなり前にネットで検索中に、やはり鹿児島城の石垣の写真を見たことがあるのだが、その写真は余りに衝撃的であった。というのも
石垣に直接街区表示板がが~ん!と打ち付けられていたからである!
「流石鹿児島文化財を大事にしないなやることワイルドやのう」
とある意味感心してしまったのだが…その後検索しても、その画像は二度と出てこなかった。鹿児島城石垣の街区表示板はどうなってしまったのだろう…情報お待ちしております。
私が気になったのは弾痕のすごさ…な訳が無くて(^^;)、石垣そのもの。
前から写真や、ネットで検索したときに少し気になっていたのだが、今回の放送で改めて確認して気になった。
一般的に日本式城郭の石垣は
野面積み→打ち込みハギ→切り込みハギ
と言う形式で進化していったとされる。もちろん技術的に一番面倒なのが「切り込みハギ」で、これで石垣を整えているのは江戸城とか名古屋城とか、いわゆる徳川幕府直轄の目玉となる城が多いように思う。
しかし、鹿児島城の石垣も今回の放送を見た限りでは切り込みハギなのではないだろうか。が、その一方で引っかかるのが、そもそも島津氏配下の城をはじめとして南九州の城郭は石垣を持ってない土塁だけの城が普通だと言うこと。つまり、土塁ばかりの城しか作ってないところに、いきなり登場したのが鹿児島城という事になる。しかもその石垣たるや最新技術の切り込みハギ。これはいったい何を意味するのか…
(おまけ)
こっちの方が本題かも知れない(^^;)
かなり前にネットで検索中に、やはり鹿児島城の石垣の写真を見たことがあるのだが、その写真は余りに衝撃的であった。というのも
石垣に直接街区表示板がが~ん!と打ち付けられていたからである!
「流石鹿児島
とある意味感心してしまったのだが…その後検索しても、その画像は二度と出てこなかった。鹿児島城石垣の街区表示板はどうなってしまったのだろう…情報お待ちしております。
PR