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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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先日という本を借りてきた。
著者の関口すみ子氏の本来の専門はジェンダー論で、終章とあとがきの内容は正直「うぇっ」と思いましたがヾ(^^;)
残りは興味深く読ませていただきました<(_ _)>

その中で「三章 綱吉・吉宗・定信と姫さま」の項に、興味深い話が引用されていたので抜粋。
関口氏は
(荻生狙來は将軍家からの降嫁は男女の序列を見だして、将軍家を支える儒教に反するとして猛烈に反対していたが)じつは、それどころではない。吉宗は、竹姫の降嫁を、享保十四年(一七二九年)四月から、猛然と押し進めたのである。
(上掲書p.113より)

と、山本博文氏の論と同じ立場に立ってられるが(但し、巻末の参考文献を見ると山本氏の本は参照されてないらしい)、その後
(島津家が竹姫降嫁を受託したことに対して)天英院や老女達の歓喜はひととおりではなかった。秀小路(ばんない注:天英院の上臈)からの返事として佐川(ばんない注:島津家の上臈)が伝えるところに依れば、天英院からは「御満足のたんよく心得申せとの 上意に御座候。御老女様方まて自分の御礼頼上候」という。(中略)天英院、更に西丸老女(秀小路、梅その、さくらい)、本丸老女(三室、豊岡、高瀬、外山、尾のえ)たちまで感謝している様子である。
(上掲書p.115より)

とある。
関口氏は
ここに大奥と島津家の間に確かな絆が出来たのである
(上掲書p.115)

とさらっと流し、その後他の大名家の話などもはさみながら、最後に11代将軍家斉正室(広大院)と13代将軍正室(天璋院)と島津家から2人の正室を出したのはこの時のつながりがきっかけだ、と締めている。

…ちょっと待った!お得意のジェンダーネタがない
関口はんヾ(^^;)、この結婚話熱心にすすめとったんは徳川吉宗はんやないんかいな、でも、最後の方では吉宗全然絡んでないやあらしませんかヾ(^^;)

結局、関口氏の引用した史料(おそらく『鹿児島県史料 旧記雑録追録』と思われる)を見ても、竹姫の島津家押しつけ降嫁に熱心だったのは吉宗と言うより大奥側という印象しか残らないんだが…。

おまけ
上記の本には、どうも島津家が飼っていた狆のお墓があるらしいという興味深い話も載っています。墓碑銘は天保、時代から見ると竹姫様所有の狆のそれではないようだが。

ちなみに、薩摩藩江戸藩邸で食用の犬とか豚を飼っていたらしい?という驚愕の話は公然の秘密ヾ(--;)
参照 こちら

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